軍裏@ふたば
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27258 B無題 Name 名無し 18/11/22(木)18:23:11 IP:210.149.*(vmobile.jp) No.485410 del 1月05日頃消えます
幕末あたりの武器について
蘊蓄沢山ください。
削除された記事が2件あります.見る
無題 Name 名無し 18/11/22(木)21:06:20 IP:119.245.*(nttpc.ne.jp) No.485412 del
アメリカ内戦(南北戦争)で余った古い武器が大量に流れ込んだ
無題 Name 名無し 18/11/22(木)22:23:23 IP:126.2.*(bbtec.net) No.485415 del
長州「え?龍馬のつてでグラバーから買ったミニエー銃って実は旧式?」
無題 Name 名無し 18/11/22(木)23:45:24 IP:222.159.*(infoweb.ne.jp) No.485418 del
NHKの歴史秘話でやってたな
鳥羽伏見の戦いでは幕府軍が後装式の新型銃を装備していて
新政府軍の方が旧式銃で、射撃速度に4倍の差があったそうだ
無題 Name 名無し 18/11/23(金)00:04:36 IP:126.2.*(bbtec.net) No.485419 del
>新政府軍の方が旧式銃で、射撃速度に4倍の差があったそうだ
自分もそれ見たんだけど、シャスポー銃とミニエー銃の不発割合とかがわからないからなんともと思った
実際急襲されたとして、弾丸入れてなかったとしても、優勢でかつ4倍の射撃速度なのに反撃できない状況ってのがよくわからない
無題 Name 名無し 18/11/23(金)00:11:44 IP:49.104.*(spmode.ne.jp) No.485420 del
いくらいい銃でも兵隊が急襲され浮足だって武器捨てて逃げたら一緒だからね
無題 Name 名無し 18/11/23(金)00:25:11 IP:126.2.*(bbtec.net) No.485422 del
    1542900311552.jpg-(126299 B) サムネ表示
126299 B
>いくらいい銃でも兵隊が急襲され浮足だって武器捨てて逃げたら一緒だからね
素人が思ってるより索敵や陣形が大事ってことなんかね
無題 Name 名無し 18/11/23(金)01:09:35 IP:125.9.*(home.ne.jp) No.485423 del
>いくらいい銃でも兵隊が急襲され浮足だって武器捨てて逃げたら一緒だからね
赤備えで威張ってた彦根が寝返ったり
淀が様子見でグダグダだったりそんなん見たらなあ
無題 Name 名無し 18/11/23(金)03:45:00 IP:240d:1a.*(ipv6) No.485424 del
>新政府軍の方が旧式銃で、射撃速度に4倍の差があったそうだ

装備の優劣や兵力差だけで決まるなら日清戦争は負けてたね
無題 Name 名無し 18/11/23(金)07:32:47 IP:36.11.*(au-net.ne.jp) No.485425 del
    1542925967548.jpg-(292916 B) サムネ表示
292916 B
>素人が思ってるより索敵や陣形が大事ってことなんかね

もう終了しちゃったけど米沢市上杉博物館で戊辰戦争の特別展をやっていて
それによると銃と一緒に戦術も伝来
戦列歩兵が役に立たない事も伝わっていて
なるべく目立たない黒い服装の着用や散兵として戦っていた事が展示されてた

他には溶けた金属を挟んで弾を作成する道具にも刻印がされているので
ちゃんと道具も海外から買っていたこと

砲の設計図も入手していたが、とうてい当時の日本の技術では製作不能だったこととかか
無題 Name 名無し 18/11/23(金)07:55:16 IP:133.232.*(nttpc.ne.jp) No.485426 del
    1542927316544.jpg-(122565 B) サムネ表示
122565 B
こいつが量産された暁には・・・
無題 Name 名無し 18/11/23(金)09:43:42 IP:222.159.*(infoweb.ne.jp) No.485427 del
>素人が思ってるより索敵や陣形が大事ってことなんかね
あと士気もね
西南戦争では、徴兵で集めた平民兵士がクレイジー薩摩を前に逃げ散って戦線崩壊する事があった

なので、軍から排除したはずの士族を集めて「警視庁の」抜刀隊として投入して
ようやく薩軍を押し返す事が出来た

その対策として明治政府が行なったのが「天皇は現人神で、軍はその神兵である」という洗脳
その成果が結実したのが二〇三高地よ
無題 Name 名無し 18/11/23(金)10:00:15 IP:119.170.*(home.ne.jp) No.485428 del
フランスやイギリスが
まともな銃を売ったんだろうか?
少々不良品でめ まあいいや的に売り付けた気がしてる。
ソースは無い。
無題 Name 名無し 18/11/23(金)15:26:17 IP:49.106.*(m-zone.jp) No.485436 del
昭和20年いよいよ本土決戦となっとき編成された国民義勇戦闘隊だと
村田銃も行き渡らない幕末の洋式銃もごろごろ出てきて装備していたとか
これに弓矢・刀剣も加わって戊辰戦争から70年逆に戊辰戦争レベルまで退化した兵器で米軍に挑む事になっていたかも
無題 Name 名無し 18/11/23(金)17:09:29 IP:125.31.*(bbiq.jp) No.485438 del
>まともな銃を売ったんだろうか?
ヨーロッパ情勢の軍縮で不要になったとか旧式ではあった気がする
無題 Name 名無し 18/11/23(金)17:47:51 IP:2001:268.*(ipv6) No.485441 del
    1542962871172.jpg-(54483 B) サムネ表示
54483 B
ブラタモリでやってたけど薩摩は砲身をムクの金属塊から水車を利用して削りだしで作ってたそうだ
無題 Name 名無し 18/11/23(金)18:00:24 IP:115.163.*(so-net.ne.jp) No.485442 del
>ヨーロッパ情勢の軍縮で不要になったとか旧式ではあった気がする
南北戦争終結で大量に余りまくった火器を日本に売りつけた
因みに米国(北軍)が火器を調達したのは、当時日本と海外の金の差額で大儲けした金と言われてる
明治政府が後でそれに気づいて真っ青になったとか
無題 Name 名無し 18/11/23(金)18:01:17 IP:126.2.*(bbtec.net) No.485443 del
水車での削り出しは欧州もそうだったような
後適当に見様見真似でライフリング切っちゃって、
欧州から来た教官からめっちゃ怒られたとか
無題 Name 名無し 18/11/23(金)20:48:01 IP:175.28.*(bbiq.jp) No.485448 del
>因みに米国(北軍)が火器を調達したのは、当時日本と海外の金の差額で大儲けした金と言われてる
そっちは有名だからね
国内での銀と金の兌換レートが海外より良かったから(でないと貨幣を十分に流通できなかった)から日本相手に銀を売って金に換えまくった
日本側も気づいていて交渉したけど撤廃させる力がなくて泣き寝入り
無題 Name 名無し 18/11/23(金)21:23:00 IP:240d:1a.*(ipv6) No.485449 del
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328294 B
>明治政府が後でそれに気づいて真っ青になったとか

幕末の通貨問題
流出の具体的な量と影響
上記で「大量」とのみ表記されている日本からの金貨の流出量について、具体的な量は概算レベルでも一致した見解が提示されていない。武田晴人が2009年にまとめた資料によれば、開港からの半年で流出した額は10万両とも50万両ともいわれ幅が広い[10]。ただし、この流出に関連した国内経済へのインパクトは1861年には沈静化したと見られることから、「金貨流出の影響は一時的なものにとどまった」とした[10]。

武田資料を参照した鎮目雅人は2016年発表のワーキングペーパー上において、過去の研究では大量流出という捉え方が主流であったことを前提としつつも「最近の研究では流出規模はそれほど大きくなかったとの見方が有力」とした[11]。

どうなんだろうね
無題 Name 名無し 18/11/23(金)21:28:49 IP:126.2.*(bbtec.net) No.485450 del
金の流出って明治初期も起こってたと思うけど
渋沢栄一の第一銀行でも似たような話を聞いたことある
無題 Name 名無し 18/11/24(土)10:50:02 IP:27.141.*(home.ne.jp) No.485456 del
    1543024202271.jpg-(73575 B) サムネ表示
73575 B
幕末あたりといえば小藩に多く導入された改造管打式銃を忘れちゃいかんと思うのですよ
西洋銃に対抗する形で生まれた何とか存続したい伝統の鉄砲術と仕事を失いたくない鉄砲鍛冶と予算の無い小藩の妥協の産物

マッチロックやフリントロックと比して不発率がかなり下がる雷管は物凄い発明なんだけど一足とびに導入しちゃった本邦ではその凄さが広まって無いと思う
無題 Name 名無し 18/11/24(土)10:58:09 IP:27.141.*(home.ne.jp) No.485457 del
西洋式軍学の流入はこれまで剣術的な流派というか一族単位の商売であった伝統の鉄砲術流派にとってまさに存続の危機だった
藩のお墨付きで出世のためにもと学ばれていた各流派はこの脅威に対して西洋式軍学に乗り換えたり部分的に導入したりと生き残りをかけた近代化に励むことになる

しかし最終的には国軍の成立に伴ってバラバラな流派の寄せ集めではは良くないよねってなって歴史の掃溜め送りとなった
無題 Name 名無し 18/11/24(土)11:01:16 IP:153.151.*(dti.ne.jp) No.485458 del
メキシコ金貨に比べて純度が高かった。
改鋳して純度を下げて対応したはず
無題 Name 名無し 18/11/24(土)11:11:07 IP:27.141.*(home.ne.jp) No.485459 del
>素人が思ってるより索敵や陣形が大事ってことなんかね
何にでも言えることだけど事前の段取りこそが大切
段取りさえしっかりしてれば清仏戦争のベトナム方面のように団連(半正規兵な自警団)主力で武装は旧式銃と刀槍でもフランス軍を撃退できたりしているわけでして

同時代の中国における火器の進歩や技術導入もなかなか面白い
地方政府による雷管の国産化にも成功してたりするし技術水準的には侮れないのよね
無題 Name 名無し 18/11/24(土)14:11:44 IP:2001:268.*(ipv6) No.485461 del
幕末に海外に流出した金の量は、同時期にアメリカがロシアから
アラスカを買った額とほぼ同じ。
って話を聞いたけど、仮に50万両だとしたら、
天保小判が11.2グラムで、金56.8%に銀43.2%、50万両だと金だけで3.18トン。
今の価値だとグラム4800円くらいだから、153億円ほど。
アメリカがアラスカを買った額は720万ドル。
wikiによると今の価値で1億2300万ドルだそうだから、1ドル110円として
135億円ほど。
荒い計算だけど、なるほど大体一緒だな。
無題 Name 名無し 18/11/25(日)12:51:29 IP:2400:4050.*(ipv6) No.485483 del
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26734 B
幕末に作られた日本刀
当世具足が出た頃から反りは緩くなり 切っ先は長くなる
江戸時代 刀作りは一時衰退するが幕末需要が増えて
名工も輩出するようになる
無題 Name 名無し 18/11/25(日)22:05:41 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485491 del
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37158 B
慶応3年(1867年)1月に徳川幕府が幕府陸軍訓練指導の為、フランスから招いたシャルル・
シャノワーヌ=サンという参謀大尉が、来日して間もない4月、徳川慶喜ショーグンに幕軍の
改革についての専門的意見を建白書として提出しているんですが、曰く

・大体程度の訓練可能な演習場を獲得すること
・兵士は農村出身の強壮なものを選ぶこと
・小銃を整理整備し火薬を統一すること
・火砲の試射を行うこと
・射場を設けること
・牽引用の馬匹を備えること

…とのことで、また幕軍士官について
無題 Name 名無し 18/11/25(日)22:06:22 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485492 del
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190098 B
「日本の陸軍士官中教導を得たるもの更に一人もなし。是皆外国の火器を見知るというの
みなり。其内余り年齢多きもの亦少なからず」

…として、少年時代から教育を行う士官学校(兵学校)の設立を勧告しているほか、幕府が
諸外国から購入した小銃は累計で4万2775挺あるものの、

「多分は打ち捨てありて清潔ならざれば、差当り戦に用ゆるを得ず」

…という状態で、大小各種千挺余りの砲(内約3百挺が野戦砲)も、すみやかに実射を行って
点検すべきである、としているそうです

要は当時の幕軍は十分な演習施設がなく、訓練は足りず、兵卒は壮健ならず、士官は質が
低く、装備は雑多でしかも整備不良であった…という事みたいなんですが、これが戊辰戦
争の8ヶ月前の話なんですよねえ
無題 Name 名無し 18/11/25(日)22:08:52 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485493 del
    1543151332182.jpg-(152563 B) サムネ表示
152563 B
因みにコレは余談ですが、「日本軍事技術史」という本に慶応元年から3年までの日本の
小銃輸入状況の概況が載っているんですが、この3年間に長崎・横浜・神戸/大阪港から
輸入された小銃の数は合計21万5170挺、ドル換算で274万ドルに達しているそうです

これは記録に残されたモノだけであって、実際の輸入数は密輸品等を考慮すれば更に多数
であったろう…との事なんですが、この三年間の内訳を見ると、慶応元年が2万5850挺(1
6万ドル)、2年が2万1620挺(27万ドル)、3年が16万7700挺(231万ドル)となっております

単純に合計金額を輸入数で割った1挺当たりの価格は慶応元年約6.2ドル、2年約12.5ドル、
3年が13.8ドル、無論各年の小銃の種類の詳細が分からないので単純に比較はできないん
ですが、僅かの間に輸入量も単価も大幅に跳ね上がっているのは、内乱に突入しつつあっ
た日本の国内状況も影響していたんでしょかねえ、やっぱし
無題 Name 名無し 18/11/26(月)07:33:06 IP:36.11.*(au-net.ne.jp) No.485499 del
支払った額は莫大だが
アメリカの南北戦争では68万人の死者が出たが
戊辰戦争だと両軍合わせて死者は1万人程度と新式の銃が流入してる割りに極小

民衆不参加の支配者階級間の交替だから当たり前とも言えるが
日本は武器だけじゃなく西洋の歴史、動きも取り入れ
(まあ、直前の南北戦争は大いに参考になったろう)
江戸の無血開城なども検討した結果であって
ただパクルだけじゃない他国の歴史からも学べる賢い日本人像が見えるね
ついでに民衆の不満や被害予想、士族の不満までくみ取る忖度の心も

これが悪い形になると太平洋戦争となるんだが
無題 Name 名無し 18/11/26(月)09:02:00 IP:49.104.*(spmode.ne.jp) No.485500 del
フランス式軍制の導入とかも結局新政府も引き継いだしな
無題 Name 名無し 18/11/26(月)09:10:56 IP:222.159.*(infoweb.ne.jp) No.485501 del
>幕末需要が増えて名工も輩出するようになる
土方歳三が使ってた和泉守兼定がそれだね
情勢不穏を受けて会津藩が刀の量産を始めて、そのうちの一振りが土方のものになった

会津藩降伏→廃刀令で刀鍛冶は廃業するも、明治36年の日英同盟の際、
イギリスに贈る刀を打つよう依頼を受けている
完成前に急逝されて未完に終わってるけど、完成できたら、
どういう刀が出来ていたのか気になるね
無題 Name 名無し 18/11/26(月)21:36:46 IP:240f:a8.*(ipv6) No.485514 del
>廃刀令で刀鍛冶は廃業するも
サーベル拵えの日本刀とか作ってるのに廃業か・・・
もったいないね
無題 Name 名無し 18/11/27(火)21:40:55 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485564 del
    1543322455032.jpg-(939540 B) サムネ表示
939540 B
小銃の大量輸入は御一新の後も続きまして、前述「日本軍事技術史」によれば慶応元年
から明治2年までの5年間のトータルでは、47万9781挺、651万845ドルとなっておりま
したり
また、徳川幕府が当時保有する購入した外国製軍艦8隻、洋式船舶36隻の価格合計が333
万6000ドルだそうですので、合計するとそれだけで982万ドル以上
…アラスカが余裕で買えちゃいますですなあw

因みに、フランスは軍事顧問団の派遣と共に、4斤野・山砲各12門と後装式のシャスポー
銃2千挺を幕府に寄贈しているんですが、当時フランス語通訳として教育を受け、後に函
館戦争にも参加した田島応親陸軍砲兵大佐さんの回想記が残されておりまして、曰く
無題 Name 名無し 18/11/27(火)21:41:17 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485566 del
    1543322477626.jpg-(384567 B) サムネ表示
384567 B
「当時の砲はどういう砲であったかというと、今日から見ますと、実にこういうものをフ
ランスでもあの頃は持っておったかというて、実におかしいようなもので、遊就館に参り
ますといくらもころがっております」

「銅砲で口込めでありまして、その射程距離というものがどれほど届くかというと、今日
の小銃にも劣っておる。山砲が3千メートル、野砲が4千5百メートル、これを極点として
おった。今日の小銃弾の4千メートルにも達するのにくらべますと、まことにおかしいも
のです」

「当時、(幕府)歩兵隊の持っておりましたもので、いちばん多くあったのはイギリスの例
のエンピール銃。たいへん筒の太い不完全なものでありましたけれど、これはやはり砲と
おなじく、その当時最鋭な利器であったのであります」
無題 Name 名無し 18/11/27(火)21:41:34 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485567 del
    1543322494366.jpg-(432007 B) サムネ表示
432007 B
「フランスの小銃をわざわざ取り寄せる必要もなかった。それで間に合わしておった。も
っとも幕府の時分にありました模範、その当時伝習隊と称えましたものを除くのほかは、
オランダ・ゲベールと称えます円弾の口込めの鉄砲を持っておりました。伝習隊のほうは
口込めの筋入りの銃(旋条銃)で、射程の遠いエンピール銃を持っておった」

「また騎兵のほうにしましても馬具などというものはきわめて不備で、一部分は和鞍、す
なわち例の日本の木骨鞍を用い、その他洋式の革でこしらえた鞍でも、様式は一定してお
らなくていろいろの形のものがまじっておった。ようやく伝習する隊だけが揃った洋式の
鞍に乗っておることができたぐらいであります」

…との事なんですが、幕府の本格洋式軍隊の創成期の様子がよく窺える内容ではあるんじゃ
ないでしょか…w
無題 Name 名無し 18/11/28(水)04:52:27 IP:119.245.*(nttpc.ne.jp) No.485579 del
>No.485564画
本題と関係ないけど西欧人がイメージした日本の版画かなあ?
なんとなく中国風になるんですよね、特に左側の建物(笑)
無題 Name 名無し 18/11/28(水)07:38:59 IP:240a:6b.*(ipv6) No.485582 del
幕府伝習隊の漫画はかわぐちかいじが書いてたな
確かシャスポー銃で敵兵を倒して
「このシャスポー銃は後装式で〜」
・・・とか自慢するシーンとかあったような
無題 Name 名無し 18/11/28(水)07:58:09 IP:222.159.*(infoweb.ne.jp) No.485583 del
>もったいないね
会津藩のお抱えだったので…
会津戦争後は会津の外に逃がされていたし
とてもじゃないけど刀鍛冶を続けられなかったんでしょ
無題 Name 名無し 18/11/28(水)17:44:11 IP:117.102.*(zoot.jp) No.485588 del
    1543394651121.jpg-(27504 B) サムネ表示
27504 B
会津…銃…

…うむっ!!
無題 Name 名無し 18/12/02(日)10:20:53 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485761 del
    1543713653612.jpg-(162937 B) サムネ表示
162937 B
>幕府伝習隊の漫画
手塚治虫大せンせいの「陽だまりの樹」でも、主人公の一人が幕府歩兵隊の指揮官になっ
てましたですなあ

因みにフランス人教官の招請前に、まず徳川幕府が近代陸軍伝習を申し入れたのは当時横
浜に駐屯していたエゲレス軍だったんだそうで、元治元年(1864年)から慶応2年にかけて、
その指導の下に「英式歩兵1大隊・砲兵1小隊・楽隊」が編成されているんですとか

結局英側から、期待したほどの援助が得られないと分かると英式伝習の試みは中止され、
新たな指導先をフランスに求めることになったそうなんですが、その後(ドイツが新たな
お手本になったりもしますが)も「日本陸軍」にフランス式教育の遺風が諸処に残った事
を思うと、仮にこの時最初の英式導入が上手く行っていたなら、日本の陸海軍が共に「英
国流」で育って…なんて事になったかもしれないですねえ
無題 Name 名無し 18/12/02(日)10:21:37 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485762 del
    1543713697595.jpg-(95659 B) サムネ表示
95659 B
因みに短い交流でしたが、慶応2年2月5日には神奈川奉行所支配の伝習隊と横浜駐屯のエ
ゲレス軍による合同演習なんかも行われているそうです

その模様は"Illustrated London News”のような絵入り新聞によって彼の国にも伝えられ、
逆に今の私らも当時の幕府陸軍の様子をそこから窺うことができるわけなんですが、やっ
ぱり当時でも向こうの国の軍オタさん達がその記事と挿絵を見ながら

「おい、小銃はエンフィールドだぜ?」
「どうせ型落ちだろw」
「このでっかいサーベルカッコイイな…どっかのショップで買えない?」

…なんて、趣味の談議に耽っていたんでしょか…w
無題 Name 名無し 18/12/02(日)12:04:41 IP:49.104.*(spmode.ne.jp) No.485765 del
カッコは近代的になっても二本差しなのねん
銃剣も支給されてただろうに
無題 Name 名無し 18/12/02(日)18:24:49 IP:240f:a8.*(ipv6) No.485783 del
>銃剣も支給されてただろうに
銃剣も突き刺すだけのスパイクだったかもね
そうなると別に刀持っても納得できる
無題 Name 名無し 18/12/02(日)19:51:26 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485786 del
    1543747886781.jpg-(138559 B) サムネ表示
138559 B
>二本差し
幕軍側ではないですが、元長州の奇兵隊隊士だった三浦梧楼陸軍中将の回想記に、鳥羽伏
見の戦いで前線へ出陣した際の挿話が有りまして、曰く

「兵隊には『銃剣はあの藪の中へ棄てておけ(略)』と告げてそのまま出陣した。当時、銃
剣は兵隊どもの非常に厄介視したものであった。
『両刀があるのに、こんな切れもせぬものを付けて何になるものか。厄介で厄介で仕様が
ない』などとすこぶる苦情を唱えたものである。我輩が今その銃剣を棄てさせたものであ
るから、兵隊どもは皆大満足である。この些々たることがなかなか士気の振興を助けるも
のであった」

…との事
無題 Name 名無し 18/12/02(日)19:52:23 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485787 del
    1543747943357.jpg-(238943 B) サムネ表示
238943 B
三浦さんはその後、進撃中に幕府軍の一隊との遭遇戦になるんですが

「ちらりと何やら土手下の松の樹陰に見えると斉しく、ドッと喚いてバタバタと堤上に踊
り上がった敵の槍隊。『さあ来い』とばかりに槍を突き付けた。この方は弾丸を込めぬ空
砲、直ぐには射たれぬ。我輩は刀を抜いて『座れ座れ』と叱咤するうち、『さあ来い』と
叫んで、刀を上段に構えたものがある。誰かと見れば隊長の藤村栄次郎(略)『危ない、下
れ』と背後から引き戻し、なおも坐れ坐れと味方を制した」

「敵は槍を構えたまま、味方の鉄砲に恐れて少しも動かぬ。淀の橋のかなたに敵の台場は
あれども、この味方の槍隊を撃たんことを恐れて一丸をも送り得ざる始末で、実に拙劣極
まる戦略であった」

「味方はこの間に早や弾丸を込めた。一斉に打ち出す銃丸、バラバラと降り掛って、敵の
槍隊七、八十人、瞬く間にバタバタと皆倒れた」
無題 Name 名無し 18/12/02(日)19:53:07 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485788 del
    1543747987096.jpg-(849827 B) サムネ表示
849827 B
…ところで、いざ突撃!と部下を率いて突進せんとした時足に敵弾を受け負傷、後送を
余儀なくされたそうです
日本刀が未だ大部のヘイタイさんたちにとっては心の支えでもあった一方、既に戦場の勝敗を
実際に決するのは火砲・小銃の射撃戦になりつつあって、それに対処する指揮官の対応が
重要だった当時の戦場の様相が窺える話ではあるんじゃないでしょか

因みに伏見に後送される三浦さんの所に、部下の山本常次郎さんという方が風呂敷包みを
持ってやって来たそうでして、

「『これをお持ちくださるよう』と言いつつ、膝の上へ置いて立ち去った。何かと思って
開き見れば、思いがけなき藤村栄次郎の首であった」
無題 Name 名無し 18/12/02(日)19:55:39 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485791 del
    1543748139238.jpg-(417714 B) サムネ表示
417714 B
「藤村は奮闘して討死にしたが、勝敗未決の折柄、その首の敵手に取られんことを恐れて、
かくは掻き切ったものである」

「この山本という男は(略)肥後の決死隊と悪戦苦闘して、山田という隊長も(略)戦死した
時(略)首を掻き切った男である。一代に二度も隊長の首を掻き切るとは、不思議の因縁で
ある」

…なんて後日談があったそうです

敵手に落ちないよう、戦死した上司の首を先に切っておかなくちゃ!なんて時には、ロク
に切れぬ銃剣じゃあ頼りにならなかったでしょうし、こんな時は、やっぱり持っててよ
かった、日本刀!って事になったんでしょかね(棒
無題 Name 名無し 18/12/02(日)23:44:20 IP:240d:1a.*(ipv6) No.485799 del
    1543761860259.jpg-(68790 B) サムネ表示
68790 B
>幕府伝習隊の漫画

滝沢聖峰『ガンズ&ブレイズ』
主人公が元火消しの江戸っ子で確か伝習隊に所属
物語自体は五稜郭の戦い以後から始まり、
元旗本と北海道を転々としながら新政府軍の追っ手から逃れるという話だが
無題 Name 名無し 18/12/03(月)00:05:57 IP:2400:7800.*(ipv6) No.485803 del
>会津…銃…
綾瀬はるかさんなの
無題 Name 名無し 18/12/03(月)04:31:32 IP:210.145.*(dti.ne.jp) No.485805 del
>日本刀が未だ大部のヘイタイさんたちにとっては心の支えでもあった一方
戦争でポン刀が決戦兵器だったことって
かつて一度でもあったんかな
正に「心の支え」でしかなかったような
多数vs.多数では、槍とか弓のほうがよっぽど意味ありそうだ
無題 Name 名無し 18/12/03(月)07:23:37 IP:2001:240.*(ipv6) No.485806 del
>多数vs.多数では、槍とか弓のほうがよっぽど意味ありそうだ


多数vs.多数ではそうだが、それで大勢が決した後の追撃・首狩りでは
必須だったから、武士の命であることには確かかと(首無いと報奨とれないし)

ただ単に相手を死体にするだけで良いのならそりゃ槍とか鉄砲とかの遠距離兵器のが良い
無題 Name 名無し 18/12/03(月)21:47:09 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485892 del
    1543841229762.jpg-(810680 B) サムネ表示
810680 B
元長州藩士だった林錬作陸軍少将の「兵器沿革略(前編)」には、幕末に使用された「ゲベ
ール銃」の銃剣について

「実際之を用ヰることなし 何となれば各自日本刀を帯るが故に 接戦に方ては銃を投
じ抜刀突貫以て我利刀の威力を示さんことを欲すればなり」

…なんて書かれていたりします

射撃戦の後の白兵戦では、銃を投げ捨ててカタナで戦う!というのは、当時ではごく常識的
な思考だった、というわけなんでしょか…w
無題 Name 名無し 18/12/03(月)21:50:40 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485893 del
    1543841440186.jpg-(756262 B) サムネ表示
756262 B
同著では続けて、幕軍がフランスから教育団を招いた頃から「ミニエー銃」の評判が高ま
り、諸藩がこぞって導入に努めるようになっていて、「明治元年の役」では携帯する兵
隊さんの姿が多く見られた…なんて記されているんですが、その「ミニエー銃」の派生の
一つである「エンピール(エンフィールド)銃」について、

「明治3年徴兵令を定められ 兵制一定するや歩兵銃は「エンピール」に定められたり
(略)1853年式銃にして「ヤクガン」形の銃劔を具し(略)以来日本刀を廢し歩兵は(略)銃
劔を帯び銃を携う 而して銃劔接闘の演習を試み 用法を了解し敢て日本刀に意を留め
さるに到るを見たり」

…と述べていたりします
無題 Name 名無し 18/12/03(月)21:52:58 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485894 del
    1543841578821.jpg-(33063 B) サムネ表示
33063 B
銃器の発展に従って、刀の実戦における価値が下がっていくのは当然ではあるんですが、
ある意味では時代が進んで、日頃刀の用法に習熟していた武士階級から、徴兵で集めら
れて訓練を受ける一般市民に軍の戦力の中心が移って行くのに合わせて、「日本刀に頼
らない」でも戦える軍隊の育成が図られた…という事でもあるんでしょかね、コレ
無題 Name 名無し 18/12/04(火)00:29:15 IP:240d:1a.*(ipv6) No.485904 del
日本刀に頼らない軍隊を目指した結果が
白兵戦に弱い日露戦争の日本軍ではなぁ
無題 Name 名無し 18/12/04(火)16:37:56 IP:119.245.*(nttpc.ne.jp) No.485911 del
弱かったのかは知らないが白兵戦では体格差がモノを言うのは間違いなし
無題 Name 名無し 18/12/05(水)00:05:54 IP:14.3.*(asahi-net.or.jp) No.485964 del
主力だったエンフィールドが
ライフリングのおかげで有効射程が300mと従来より4倍になったとはいえ
装填時間は1分間に3発程度

これなら3発避ければ接近戦に突入されてしまうわけだから
まだ刀も充分実用に耐える

そのうち1分間に20発とか発射速度が向上していくわけだから
特殊な条件下でなければ剣の達人級でもお陀仏なわけで
刀を捨てるのは至極当然、常識的な判断だ
無題 Name 名無し 18/12/05(水)21:44:46 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485979 del
    1544013886699.jpg-(1295190 B) サムネ表示
1295190 B
白兵戦での軍刀の価値に対する揺り戻しというか、実戦の戦訓を経ての再評価の動きは
それこそ昭和の大戦でIJAそのものが消滅する間際まで度々起こっているんですけれども、
徴兵令制定後で最も至近の出来事だったのが明治10年(1877年)の西南戦争であったんだ
そうで

戦中の白兵戦闘に於て、セゴドン率いる西軍に度々後れを取った官軍側は、一旦捨て去った
はずの日本刀の再配備や「抜刀隊」に代表される白兵戦部隊の編成等の対応策を余儀なく
されたそうなんですが、当時の官軍の最終的な出征人員は陸軍約5万2000人、臨時士族徴
募兵約6700人、海軍2200人の合計約6万人(軍夫含まず)、対する西軍側の最終的な総兵力
は約3万人、単純な戦力差ではおよそ2体1、ということになるんですとか
無題 Name 名無し 18/12/05(水)21:46:39 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485980 del
    1544013999480.jpg-(978892 B) サムネ表示
978892 B
一方陸士49期の砲兵士官さんで、戦後は自衛隊で幹部学校の戦術教官等も務めた戦史家
の金子常規氏によると、両軍の装備は例えば小銃で見ると

「小銃は官軍がエンピール(先込め)よりスナイドル(元込)、またはエンピール・スナイド
ル(改造元込)に装備換中であり、東京・大阪・熊本の3鎮台が交換を終わり(ただし14連隊
は交換中)その他はエンピールで、動員部隊にはミニエーの所もあった」

…のに対し、西軍側は

「スナイドル、エンピール、ライフルその他火縄銃などまで雑多であるが、各小隊の核心
となった城下士はスナイドルかエンピールを持った」

…という状況であったとの事
無題 Name 名無し 18/12/05(水)21:47:30 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485981 del
    1544014050601.jpg-(617638 B) サムネ表示
617638 B
また戦闘期間約7ヵ月中に官軍が消費した小銃弾が約3500万発、西軍が約300万発と言わ
れているそうなんですが、両軍の戦死傷者数は官軍1万5801人に対し西軍が1万5000ない
し2万人とあまり差がなく、単純に計算すれば官軍が西軍兵1人を死傷させるのに小銃弾
2000発を必要としたのに対し、西軍が官軍1人を殺傷するのに使用した弾薬は10分の1以
下、しかもほぼ倍の戦力差の状況下で…という数字になるんだそうです

まさにSATUMAのぼっけもん、恐るべし!…ということになるんでしょか…w

もっとも、その精強な西軍が脅威とするものとして、「一雨・二赤帽・三大砲」と称して
いたそうなんですが、精強な選抜兵である近衛兵の象徴の赤帽と、官軍側がより多数を
擁していた砲兵戦力に「雨」がならんでいるのは、金子氏によれば雨天下では西軍の小
銃の多数を占めていた先込銃よりも、官軍主力の元込銃の方が威力を発揮するため、射
撃戦で不利になってしまうことを示しているんだそうで
無題 Name 名無し 18/12/05(水)21:49:22 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485982 del
    1544014162647.jpg-(239066 B) サムネ表示
239066 B
もっとも、そもそも幕末期に元込めのスナイドル銃の導入に先鞭をつけたのは薩摩藩で
あって、明治期に入っても国産「スナイドル」のおもな弾薬製造設備の大半は鹿児島県
内にあったくらいなんですが、西南戦争の開戦直前に政府側の手でこれらの設備が県外
に搬出されてしまったこと、また戦中の3月初頭、勅使柳原前光らに同行して鹿児島入り
した官軍部隊が

「鹿児島に残るスナイドル銃弾丸30万発、此の外硝薬・鉛丸の多数なる驚く可き事にし
て、是を悉く弾丸になさば代価2百万円、戦用1年を支うべし(同勅使)」

…という後方物資を没収しており、これらによって、手持ちの元込「スナイドル」の戦
力発揮等に支障を来たしたのが、「一雨」の恨みを生んだ原因であった、ということな
んですとか
無題 Name 名無し 18/12/05(水)21:50:31 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.485983 del
    1544014231490.jpg-(355939 B) サムネ表示
355939 B
西南戦争における官軍の銃砲弾薬費は455万円だそうですので、その半ば近い弾薬の準備
があったとすれば、戦力比と合わせると「白兵重視」のイメージのある西軍士族軍が、自
軍の兵士1人当たりに用意していた弾薬量は、実際の所は「火力重視の」の官軍側とほぼ
同じ位だった、って事になるんですかしらん

また、金子氏によれば西軍側の勇壮な切込み戦術も、むしろこうした後方兵站の崩壊によ
る弾薬欠乏の為の苦肉の戦術であったとされており、また当時の戦記等を見ても、敵味方問
わず白昼の白兵突撃は、胸墻に拠って防御側が強固に防御射撃を行った場合には撃退され
る例も屡々だったりするようです

一見、時代に逆行するような白兵戦術の復活は、確かにその後に残るインパクトも残した
そうなんですが、一方では結局射撃というか火力戦の優越こそが最後の勝敗を決する鍵
だ…というのは、案外かつて「官軍」として戦った経験を持つ、両軍の共通認識だったり
したんじゃないでしょかね…?
無題 Name 名無し 18/12/07(金)09:54:11 IP:240a:6b.*(ipv6) No.486056 del
薩摩はそもそも戦国時代から鉄砲重視じゃなかったっけ?
ただの脳筋白兵突撃馬鹿な家風だったら、今の時代に色々な
意味でネタにされるほどの歴史は残せなかっただろう

(多分)
無題 Name 名無し 18/12/07(金)10:39:53 IP:119.245.*(nttpc.ne.jp) No.486087 del
この時代、主にアメリカ内戦の影響で銃は日進月歩。
最新式のはずがすぐに旧式化したので輸入するタイミングによっては積極策が却って仇になったりします。
無題 Name 名無し 18/12/07(金)12:49:36 IP:2001:268.*(ipv6) No.486113 del
>日本刀に頼らない軍隊を目指した結果が
>白兵戦に弱い日露戦争の日本軍ではなぁ
やはり日清戦争の時、警視庁が抜刀隊を組織して派遣すると申し出たのを
受けておくべきだったか。
無題 Name 名無し 18/12/08(土)11:25:43 IP:59.133.*(dion.ne.jp) No.486157 del
>装備の優劣や兵力差だけで決まるなら日清戦争は負けてたね

そうだったのか知らなかった。
無題 Name 名無し 18/12/09(日)18:45:07 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486221 del
    1544348707019.jpg-(483008 B) サムネ表示
483008 B
慶応4年、上野のお山に立てこもる彰義隊らの旧幕府軍と、サッチョーら官軍との間の戦闘に
おいて、旧幕府軍の中核を為していたのは近代的な軍事教練を受けた幕府新軍の出身者
(約1千名)であったそうなんですが、彼らの悩みの一つが、共に戦う元徳川の旗本さんら
(約850名)や諸藩からの脱藩者(約400名)らオサムライさん中心の部隊との近代戦への意識の違
いと指揮系統の不統一であったんだそうで、新軍幹部だった丸毛利恒さんという方の回
想では

「諸子皆勇を恃み敵を軽んじ意となさず。且つ付属諸隊(※前述の武士旗本出身者ら)の
如き、陽には我節度に従うも各々自ら用い其の法令一途に出でず。要するに之を統括す
るの将帥なく満山眼中に官軍なく、他の奇計をも回らさず、剰え壁を築き敵を防ぐの策
をなさで坐して敵を待つに至れり」
無題 Name 名無し 18/12/09(日)18:46:40 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486222 del
    1544348800559.jpg-(68893 B) サムネ表示
68893 B
「是実に官軍の一大僥倖と謂うべし。若し然らずして法令厳粛満山の志士心を一にして
壁を固うして防戦したらんには、決して一日二日を以て抜く可らざりしなり」

…と、防御工事の不徹底とそれを招いた武士諸隊との連携不足・指揮の不統一こそが上
野籠城戦の敗北を招いたのだぁ!と嘆いておられるそうです

一方、攻囲側の薩長を主力とする官軍側の長州藩指揮官だった大村益次郎=サンは、旧
幕府軍陣地の寛永寺攻略に於て、本門(黒門)への主攻をセゴドン率いる薩摩藩部隊らに任せ
て、長軍は裏手側に当る谷中門・団子坂方面に回らせているんですが、長州兵に対し当時
新鋭の後装式スナイドル銃を支給して火力を増強し、本郷の前田藩邸周辺の高台に布陣
した砲兵陣地からの支援射撃を与えるものとして、

「長州兵は横合より大砲を以て打挫き 其上上野の後に相迫り候(セゴドン)」

…という、火力優位の元での攻略策を立てているんだそうで
無題 Name 名無し 18/12/09(日)18:48:59 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486223 del
    1544348939479.jpg-(331986 B) サムネ表示
331986 B
ところが攻撃当日、黒門側への薩軍らの主攻が始まるのに呼応して行われた長軍の団子坂
・谷中門方面への攻撃は、待ち伏せた旧幕府軍歩兵隊の一斉射撃を受けて被害続出、そこ
に逆襲突撃を受けて撃退され、完全に失敗に終わっているんですとか

新式のスナイドル銃は兵隊さんらがその操作に慣熟しておらず効果不充分、遠隔高台の
砲台からの砲撃も当時の射撃精度では直接支援の威力を挙げられず、急遽前線まで引き
下ろして砲撃を行っているんですが、旧幕軍側の放火戦術などで結局この方面からの攻
勢は頓挫してしまったんだそうで、相呼応して黒門攻撃を行うはずだったセゴドンの戦況
報告にも

「谷中の戦烈しく候て長州(略)は上野の方へは参り来らず、頼み切ったる味方場所違いに
相成り互に救応叶わず、夫故に御国(薩摩)の兵大いに難儀仕り候」

…なんて、この計画倒れの顛末が記されているんだそうです
無題 Name 名無し 18/12/09(日)18:50:20 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486224 del
    1544349020880.jpg-(297289 B) サムネ表示
297289 B
また激戦場となった黒門側では、先述のように十分な防御工事こそなされていなかった
ものの、近隣の民家からタタミ・マットを徴発してそなえたという応急陣地に拠る防戦はそれ
なりに攻囲側に苦労を強いたようでして、

「敵塁堅固にして容易に落ちず(略)三番隊・遊撃隊・大砲隊一緒に相成り、是非突け入り
度しとの義頻りに相起り候え共 過分に味方を失い申すべしと相考え候に付(セゴドン)」

…と、なかなか突入の隙を得られなかったそうなんですが、この時薩軍と共に黒門で戦っ
た因州藩の記録によると

「黒門前右手、市店の階上に駈上がり総隙より山内の賊を狙撃し、黒門内にて(略)指揮を
なす賊長を斃し続て数人を射殺す」
無題 Name 名無し 18/12/09(日)18:52:32 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486225 del
    1544349152055.jpg-(1417224 B) サムネ表示
1417224 B
「賊少しく辟易萎縮の色見わる。我諸隊その機に乗じ黒門右手の高堤に駆上がり発砲力
撃 遂に薩兵と共に一斉黒門内に乱入」

…した、なんてありましたり

指揮官を狙撃して防衛側の動揺を招く、なんてのは現代にも通じる戦術ではありますがw
単に兵器の優劣だけでなく、それを運用する兵士の練度から指揮にあたる下級・上級指揮
官の判断の良し悪しまでが、全て関わって戦闘の帰趨を決する…というのが、上野の戦い
の各戦闘場面でもよく現われていた、ということなんでしょかね

しかし彰義隊の指揮官さんを狙撃して戦況そのものを変えるきっかけになったという因藩
兵さんの使用銃、具体的な種類の記録はないようなんですが、やっぱり精度の高い施条式
の洋銃だったのですかしら…
無題 Name 名無し 18/12/09(日)22:48:18 IP:126.2.*(bbtec.net) No.486235 del
>しかし彰義隊の指揮官さんを狙撃して戦況そのものを変えるきっかけになったという因藩兵さん
状況が違うけど、30年戦争のグスタフ=アドルフ対ワレンシュタインみたいですね
無題 Name 名無し 18/12/09(日)23:19:17 IP:240d:1a.*(ipv6) No.486236 del
>慶応4年、上野のお山に立てこもる彰義隊らの旧幕府軍

その武士旗本側の残した記録によると、

地形を利用して銃撃戦を行い、機を見て官軍へ突撃して白兵戦で斬りあった後、
味方の陣地に興奮しつつ、帰還して
血を流しながらもその戦果を喜々として仲間同士と語り合った、と。

どうもいわゆるランナーズハイと思われる状況だったようです。

参加しているのがそもそも食いっぱぐれた旗本の三男みたいな人間で武勇を誇りたい連中ですから
集団戦の訓練を受けた幕府新軍の人とは根本的に相容れなかったのではないでしょうかね
無題 Name 名無し 18/12/10(月)21:15:29 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486262 del
    1544444129402.jpg-(112163 B) サムネ表示
112163 B
元幕府伝習隊で、やはり新政府への恭順を良しとせず脱走して官軍と戦った浅田惟季さん
の回想記中、宇都宮周辺での戦闘についての話だそうなんですが、

「敵我兵の農兵多きを知って頻に接戦を好む。藪の中に伏し或は麦畑の中に潜みて隙を
窺い、走り出て背面より突入せんと為す。故に余等是を注意して多く心労したり」

…なんて記されているそうです

農兵中心の幕府伝習歩兵隊が、統率された集団戦闘や射撃戦に強みを発揮した一方、近
接白兵戦に於ては武芸に専心してきたサムラーイ相手には後れを取る…というのが彼我双方の
認識だったようなんですが、それこそ旧幕府側の元士族兵さんらと農兵出身の近代的歩
兵隊が心から一致協力して戦えていれば、こうした弱点をお互い上手く補完し合えたか
も知れないですね…w
無題 Name 名無し 18/12/10(月)21:16:34 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486263 del
    1544444194351.jpg-(120933 B) サムネ表示
120933 B
一方明治2年の所謂函館戦争の最中、函館へ向け進軍する官軍を旧幕府軍が迎え撃った際、
内陸部での激戦地となった二股口では、元新選組の鬼の副長トシちゃん率いる旧幕府軍
部隊約200名と、およそ600名の官軍の間で、延々16時間にも及ぶ射撃戦が展開されたそ
うなんですが、当時同戦争に従軍していた幕府海軍軍人小杉雅之進さんの見聞録に依ると、

「13日午後3時頃敵兵凡そ600人計り進来り互いに発砲 我兵険に拠り胸壁16箇所を構え
壁に拠り乱発す 自他共に兵を繰替え翌14日朝第7字過迄16時の間の戦争、敵進む能わず
終に引退く」

「此の役我兵の費す所の弾薬殆んど3万5千発に及び 彼兵は『スペンセル』『スナイドル
』等の銃用いしと見え 銅銃包の殻数万地上に散布せしを見る 我軍敵を追う一里餘 分
捕數多あり」
無題 Name 名無し 18/12/10(月)21:17:42 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486264 del
    1544444262916.jpg-(131955 B) サムネ表示
131955 B
…との事で、地形を上手く利用して構築された防御陣地に籠っての射撃戦で、お互い数万
発以上(官軍側は新式の薬莢式後装銃が主流)を応酬する激戦の末、遂に旧幕府軍側が官軍
を撃退し、逃げる敵を追撃して鹵獲品多数を得た、なんて勝利の記録が残されているそう
です

当時土方トッシーの部隊に配属されていた仏人下士官さんが、上司の仏士官さんに宛てた
戦況報告には、大乱射戦の結果、火薬の煙で部隊総員がまるで黒人の様な顔色になった…
なんて書かれているんだそうなんですが、官軍側の敗退は弾薬の欠乏によるもの…と分析
しているんだそうでして、およそ3倍の兵力相手に、長時間の射撃戦を耐え抜いた土方隊の
「粘り勝ち」であったことが窺えますですな
無題 Name 名無し 18/12/10(月)21:20:19 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486265 del
    1544444419566.jpg-(648595 B) サムネ表示
648595 B
因みに、この長時間の射撃戦での彼我の死傷者数は今の感覚で見ると意外に少なく、官軍
側が戦死2名・負傷者21名、土方勢は戦死1名・負傷2名のみであるんだそうで

優勢の敵との戦闘で敵方の約7分の1の被害で済んでいる、もしくは7倍の損害を与えて撃
退した、というのは、旧幕府軍側の勇戦ぶりと、小銃射撃戦における胸墻陣地の有効性を
示したものではあるるんですが、一方ではなまじ彼我の火力が均衡して、陣地施設を破壊
できるような重火器も無いような戦場ですと、とにかくお互い撃ちまくって相手の疲弊を
待つ…という、不毛な消耗戦以外の選択肢が無くなる…って事なんでしょかねえ
無題 Name 名無し 18/12/11(火)08:11:49 IP:49.98.*(spmode.ne.jp) No.486279 del
第一次世界大戦の塹壕戦みたいなものやね
迂闊に飛び出したら蜂の巣だから命中精度は低いと知っても
物陰に隠れてとりあえず敵陣めがけて撃てるだけ撃つという
無題 Name 名無し 18/12/11(火)13:25:43 IP:119.245.*(nttpc.ne.jp) No.486280 del
官軍は函館を正面だけから攻略するのは難しいと考え、これを包囲するため渡島半島の西岸へ上陸。これを察知した土方率いる幕府軍が有利な地形に防御陣地を築き待ち伏せ。函館からはかなり距離があるけど双方よく戦えたね。幕府側は官軍艦船の監視を継続的に行っていたのだろうね。
無題 Name 名無し 18/12/12(水)18:18:56 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486316 del
    1544606336392.jpg-(636915 B) サムネ表示
636915 B
二股口では、明治2年4月13日から14日の戦闘の後、23日にも再度土方勢と官軍が激突し
ているんですが、これまた長時間の射撃戦になったんだそうで、浅田氏によると

「此戦争23日より25日朝迄の連戦にて 大隊有余の兵各千発に近き発砲故に 銃暖を生
じ持つ能わず 之に由り各桶へ水を入れ込め貯え置き 3−5発にして筒を冷し代る代る
に弾を籠め、此の如くなすこと2昼夜」

…という大激戦であったそうなんですが、やがて増援に来ていた元伝習隊長滝川充太郎
さん率いる伝習2個小隊が

「壁を躍り超て敵陣に衝入」

遂に官軍側を潰走させているんですとか
無題 Name 名無し 18/12/12(水)18:24:06 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486317 del
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287443 B
射撃戦で相手を消耗させた所に白兵突撃で均衡を崩すという、当時としては理想的な展開
だったようなんですが、勢いに乗って突出した土方勢は、官軍軍監駒井政五郎自ら前線
に出ての思わぬ反撃を受け損害を出し、駒井=サンを討ち取ったものの、結局膠着状態
で戦闘終了となったんだそうです
官軍の死傷者57名に対して、土方勢30人未満であったそうなんですが、こうした思わぬ
苦戦の報を受け、青森に在った官軍総督府は急遽東京に対して、4月16日の時点で

・スペンサー銃用弾丸2万5千発
・スナイドル銃用同発
・ミニエー銃用50万発
・4斤半砲弾2千発
・11センチ半手臼砲弾2百発

…等の弾薬と、軍用金3万両の追加発送を要求しているんだそうで
無題 Name 名無し 18/12/12(水)18:24:42 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486318 del
書き込みをした人によって削除されました
無題 Name 名無し 18/12/12(水)18:25:13 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486319 del
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296189 B
要求弾薬の内訳から見ると、なんとなく当時北海道で官軍側が使用していた小銃の情況
なんかも窺える気もしますがw
更に翌17日には、当時軍務菅判事だった大村益次郎さん宛に

「何分敵兵練磨、中々奥羽諸賊の比に御座なく、且地勢極めて険悪容易に進展すべき地に
御座なく候。仍て急速成功の目途も相立ち申さず候間(略)右に付 精兵千人弾薬其外用具
備え早々御出兵相成候様御願仕り候」

…と装備完備の「精兵千人」を援軍に欲しい、と要請もしているそうです

練度の優れた敵兵と、地形を利用した防御陣地の攻略に苦戦している情況が率直に語られ
ているんですが、逆に旧幕府軍側が、函館占領に先立って明治元年、北海道守備の松前藩
部隊を駆逐した戦闘について、またまた浅田氏の回想を引用させて頂くと
無題 Name 名無し 18/12/12(水)18:26:29 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486320 del
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「松前兵毎戦利を失い我兵毎戦勝つ。何となれば彼兵は多く甲冑・弓・槍、ゲベール(※
銃)もなく、我兵悉く二つ帯ミニエールを携えしのみ也。数度戦場を往来せし熟兵故に毎
戦戦勝を得たり」

…なんてあったりします

要は装備の差と(「二つ帯」は短銃(騎銃?)仕様の意なんですとか)実戦経験の豊富さが勝
敗を分けた要因であるとしているんですが、甲冑等を身に付けず、前装式のミニエー(含
エンフィールド?)でも軽量のモデルのみを以て戦ったという旧幕府軍、おそらく山岳地
隊での機動にもその軽装ぶりは利したはずですし、周到な防御陣地の構築ぶりも豊富な
実戦経験の故だったのだとしたら、派遣された官軍先鋒が悲鳴を上げる奮戦ぶりを示し
たというのも、当然だったのかもしれないですなあ
無題 Name 名無し 18/12/13(木)12:54:54 IP:2001:268.*(ipv6) No.486331 del
>・4斤半砲弾2千発
4斤山砲じゃなくて?
無題 Name 名無し 18/12/13(木)15:52:11 IP:117.102.*(zoot.jp) No.486333 del
陣地戦で撃ち合って刃物で決着とかっていうと戦国時代の合戦みたいな感じだなあ

…長篠?
無題 Name 名無し 18/12/13(木)21:04:31 IP:153.206.*(ocn.ne.jp) No.486344 del
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7869 B
一説には庄内藩が400丁持っていたと言われてる最新式後装銃
無題 Name 名無し 18/12/13(木)22:44:14 IP:2400:2200.*(ipv6) No.486347 del
>陣地戦で撃ち合って刃物で決着とかっていうと戦国時代の合戦みたいな感じだなあ
自分は野戦築城っていうとWW1並みの塹壕戦のイメージ
無題 Name 名無し 18/12/14(金)07:10:28 IP:14.3.*(asahi-net.or.jp) No.486355 del
    1544739028355.jpg-(343747 B) サムネ表示
343747 B
タイムスリップしたら
戦車の概念か毒ガスを伝授し相手を圧倒
ちやほやされたい

そも長州藩とか銃を買う金はどこから?
学校で江戸幕府に反乱出来ぬよう
参勤交代で浪費させてたと習ったのに

江戸幕府のまま改革が完了する未来ってのはありえたのかねぇ
無題 Name 名無し 18/12/14(金)07:54:56 IP:210.139.*(nttpc.ne.jp) No.486357 del
何で見たか忘れたが製鉄、紡績、製糖などの成功で金はあるが米が無い薩摩に長州が米を売って購入代金を捻出したとか言うのをみた記憶がある。
無題 Name 名無し 18/12/14(金)09:27:07 IP:222.159.*(infoweb.ne.jp) No.486359 del
>そも長州藩とか銃を買う金はどこから?
関門海峡という交通の要衝を押さえているんだよ?
日本の海運の大半が通過するんだから、それだけでボロ儲けですわ
無題 Name 名無し 18/12/14(金)16:01:53 IP:240d:1a.*(ipv6) No.486363 del
>そも長州藩とか銃を買う金はどこから?

https://ncode.syosetu.com/n8624dd/16/
小説書いてる人の説明ページがあった

・赤間関(現在の下関市)は日本海と瀬戸内海、本州と九州とをつなぐ海運の要地で、藩は船宿の整備、蔵の拡充、積荷を売捌きたい者には蔵を貸し、商談が成立するまで保管料を徴収して商売の振興を支援した。
・撫育方ぶいくかたと呼ばれる投資資銀を確保した
・ 米、紙、塩と蝋燭の原料となるハゼの木を大量に栽培し、その実を絞った蝋を合わせ「防長四白」による売り上げ

・村田清風による改革
無題 Name 名無し 18/12/14(金)16:54:40 IP:240f:a8.*(ipv6) No.486364 del
書き込みをした人によって削除されました
無題 Name 名無し 18/12/14(金)21:06:40 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486377 del
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192351 B
>4斤山砲じゃなくて?

「4斤半砲」は幕末から明治の戦場ではあちこちで見られたようで、例えば官軍による会
津若松城攻略戦では、官軍の小田山の山上の砲兵陣地と、城中の会津軍の双方に4斤半砲
が装備されていて、お互い目がけて撃ち合った、なんて記録があるそうです(同型砲だっ
たかは不明)

また勝海舟せンせいの「陸軍歴史」によると、文久3年(1863年)から操業を開始した幕府
の関口大砲製造所で作られた主な火砲として、フランス式4ポンド山砲、同旋条砲に並ん
で、同4・5ポンド旋条加農砲なんかも挙げられておりますそうで、「4ポンドハンホー」は「4
ポンドサンポー」とはまた別種の砲であるみたいです…w
無題 Name 名無し 18/12/14(金)21:07:49 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486378 del
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>そも長州藩とか銃を買う金はどこから?

諸外国艦隊との紛争(下関戦争)や幕府の第一次征長の役を経た長州藩では、慶応元年(18
65年)ごろから討幕派が政権を握り、種々の藩政改革と軍事力の強化が急速に進められた
そうなんですが、例えば同年8月から9月には桂小五郎=サンと高杉晋作=サンという、
討幕派主流を代表するような2人が馬関の越荷方頭人に任命されているんだそうで

また中絶状態だった薩摩藩との貿易が再開されると共に、同年10月には馬関越荷方の権
限が拡大されて、北国回漕の荷為替はじめ貿易に関する事務一切がこの機関の担当とな
たほか、翌慶応2年には萩、山口、三田尻に越荷方の会所が増設され、羅紗や呉呂服など
唐反物の専売品をここで取り扱い、その運上金を軍事費に回しているんですとか
無題 Name 名無し 18/12/14(金)21:10:22 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486379 del
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また撫育局を中心に製蠟、製紙、製油、製鉄、造船、染織などの新規事業が計画され、
そうした「富国策」を礎に数々の「強兵策」が実施されていくことになるんですが、そ
の第一に手掛けられたのが主力小銃の更新であったんだそうです

慶応元年5月の長州藩武器購入概算によると、「旋条銃1800挺」と「剣銃2000挺」の購
入の為に計「4万6千400両」の支出が既に予定されているそうなんですが、実際の購入数
量は更にコレより拡大して、同年7月に長崎に出張中の井上馨=サンと伊藤博文=サンが
藩政府にあてた武器購入の概算報告によると、「ミネー・ゲベール短筒4100挺」と「ゲ
ベール銃3000挺」で計「9万2400両」となっているんだそうで

坂本龍馬=サンの亀山社中の仲介で、薩摩藩名義でこれ等の銃を長州藩に売却したエゲレ
ス人商人のトーマス・ブレーク・グラバー=サンは後年、
無題 Name 名無し 18/12/14(金)21:11:26 IP:2404:7a80.*(ipv6) No.486380 del
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「徳川幕府の反逆人のなかでは、自分が最大の謀反人かもしれない」

…なんて語っているそうですw

因みに、下関戦争の際、上陸してきた英仏兵と交戦した山縣有朋=サンによると、

「銃砲の利鈍は大に勝敗の数に関することを明かにせり。此の戦我兵中ミニエール銃を
携帯せるもの僅々数十挺のみ、余は皆ゲベール及び火縄筒なり。又只弓・槍を携うるも
のもあり。防戦の困難推して知るべきのみ」

…という状況であったそうなんですが、ともあれ4千挺以上の「ミニエール銃」の購入に
よって、少なくとも当時長州藩の戦力の中核であった藩士兵及び奇兵隊(各約2千名)には
ライフル銃を支給することが出来、翌年から始まった幕府軍との2度目の戦いにも間に合
った…ということみたいなんですが、改めてみると、タイミングとしては結構ギリギリだ
ったような感じもしますですな、コレ
無題 Name 名無し 18/12/15(土)01:54:01 IP:240f:71.*(ipv6) No.486395 del
以前海運の歴史を調べてみたら、江戸時代になっても瀬戸内海や日本海は密輸船だらけだったとか。
密輸で潤っていた島なんかも結構多かったらしいとのこと。

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