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本日4月12日はパンの日です
無題 名無し 04/14 557508
IP:1.66.*(spmode.ne.jp)
帆船時代のイギリス海軍でも、日常の食事はビスケットが基本なんだけど、
単に「パン」と呼んでたみたいね
船乗りにとってはビスケットこそが普通のパンというところかな・・・
無題 名無し 04/14 557509
IP:106.130.*(au-net.ne.jp)
>自衛隊のカンパンはスプレッド付いてて好き

陸自向け乾パンのオレンジスプレッドは戦闘糧食Ⅰ型の構成品であって戦闘糧食Ⅱ型に移行完了した今ではもう目にすることはない。
海自の大型乾パンは知らんが。
無題 名無し 04/14 557522
IP:14.13.*(enabler.ne.jp)
イギリスでのビスケットは生活必需品。
プレーンビスケットだと付加価値税は0%だけど、表面にチョコがコーティングされると標準税率の20%が適用される(ぜいたく品扱い)。
でもって、この「Jaffa cakes」はチョココーティングのビスケットに分類されて20%の税率がかけられた。
これに対して製造元が「これはビスケットじゃない、ケーキだ!」って裁判を起こした結果、裁判所は「ビスケットは日が経つと湿気て軟らかくなるが、ケーキは硬くなる。ジャッファ・ケーキの生地は硬くなるからケーキだ」として製造元の主張を認め、晴れて「Jaffa cakes」はケーキとして付加価値税は 0% が適用されるようになったんだ。

ケーキは生活必需品なんだね……
英国では「ティータイムにはケーキがないとね」ってのがその理由。
無題 名無し 04/15 557523
IP:119.26.*(zaq.ne.jp)
>No.557522
パンがなければケーキを食べればいい国って実在するんだ。
無題 名無し 04/15 557526
IP:1.66.*(spmode.ne.jp)
初期の日本海軍では脚気対策にパン食に切り替えたんだけど、
訓練中に兵隊さんがすぐへばるんでお前ら飯食ってるのか!
ってハッパを掛けたら、おやつ(パン)は食べたけどメシは
まだです!とか返されたらしいね
当時の一般常識的にはパン=おやつだったんだろな
無題 名無し 04/15 557527
IP:114.158.*(ocn.ne.jp)
>当時の一般常識的にはパン=おやつだったんだろな

西部署の某団長さんもそういうお考えでした
無題 名無し 04/15 557529
IP:111.233.*(yournet.ne.jp)
俺は勤め先の経営者の趣味で業務でパン焼くことがあるけど
まじ難しいからな
温度設定とかちょっとでもミスるとうまく焼けない
戦場で安定したパンを焼き上げるのってまじで職人技だったろうなぁ
普通の白パンって長持ちしないしその都度焼き上げなきゃいけないからこそ製パン部隊が必要だったんだろうな
乾パンやクラッカーみたいなのばかりだと兵から不満も出そうだし
ドイツ軍のコミスブロートみたいなパンだとちょっとはもつだろうけど
無題 名無し 04/15 557530
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
IJN士官だった松永市郎さんの自伝に、海軍兵学校時代の食事の話も出て
くるんですが、曰く

「兵学校では朝食は食パンにみそ汁、昼食、夕食は麦飯だった。佐賀の田
舎育ちで、ビタミンとかカロリーの観念もなく、ご飯を腹いっぱい食べて
いた私には、パンではどうしても食べたような気がしなかった」

「朝食の食パンの端っこは、真中の部分に較べて部厚く密度が濃い。生徒
は端っこの部分を、軍艦の防御甲板に見立ててアーマーと称していた。ア
ーマーに当ればお腹はふくれるし、その日は手紙とか面会人とか幸運に恵
まれると、言い伝えられていた」

…そうですw
無題 名無し 04/15 557531
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
因みに松永氏が入校する2年前の昭和10年(1935年)、IJN主計会報告に「海軍
糧食行政に就て」と題した記事が掲載されているんですが、それに依りますと

「脚気予防の問題は、殆んど海軍兵食史の骨幹をなすものであるが、最近学
者の研究によれば、抗脚気ビタミンの脚気予防量はオリザニン液20瓦とせら
れ、我兵食は66瓦以上であって、実に3倍以上を示し普通の給養状態にては
全く安全である」
…ものの、
「今以て年々数百名の患者発生を見るは遺憾に堪えない」
「糧食によりて極力撲滅を期し引続き研究中である」
…というのが当時の状況であったそうです

「白米に代うるに胚芽米を胚芽米を可成り供給しつつあるのも此の為」
「胚芽竝に胚芽精製品を米麦に混じ使用せしむることも試験中である」

無題 名無し 04/15 557533
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
「『二幸胚芽』『米の母』等は何れも同精製品であって練習艦隊、第3艦隊、
潜水艦等、脚気の発生し易き部隊に使用せしめている(略)結果。『米の母』
を支給せしものに患者の発生率著しく少なき結果を見た」

…とのことで、今の食品サプリメントの走りみたいなのも積極的に利用して
いたみたいなんですが、昭和の時代になっても未だ脚気が軽視しかねる問題
であったことが伺えますですね

その一方で、「麺麭食廃止問題」と題した章もありまして、曰く

「本問題は多年の懸案であって、慎重考慮中である。麺麭は元来脚気予防の
目的にて採用せられたものであるが(略)今日の精製されたる麦粉を以てして
は、予防力甚だ少なきこと立証せられ」
無題 名無し 04/15 557534
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
「一方兵員の嗜好に適せざる為、年々支給回数を減少し、今日は一旬2回乃
至3回の支給に止まる状況である。されば今日は(略)麺麭食を強制するの理
由は乏しき様に考えられる」

「しかし又日本人の悪習たる飽食の緩和による保健、携行、保存の便利、調
理の変化を與え食欲の増進を計ること、主計兵の労力省約等の利点をも主張
し得られるのであって、尚麺麭食が民間は年々盛んとなり陸軍も亦作戦上其
の普及に努め居る趨勢に相反する点も多少問題になり得る」

「要するに廃止問題は(略)慎重に考慮中であるが、未だ決定を見るに至らない」

…とのこと
無題 名無し 04/15 557535
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
脚気対策として導入されたパン食が、原料の小麦粉の製粉品質が上って反っ
て栄養面のメリットは薄れた、じゃあ元々不人気だったしパン食は廃止しよ
うか…というのが骨子のようなんですが、一方で栄養面以外でもメリットの
あることや、民間や陸サンではむしろパン食が推進されつつある現況を鑑み
ると簡単には決めかねる…という悩みがあったようです

先述の戦後の海上自衛隊で、隊員さん達にパン食が人気だという話と比べる
と隔世の感があるんですが、IJNの胃袋を管理する主計科の方々の間で大真面
目にパン食廃止の是非が論じられていたあたり、まだまだおコメがパンに対し
て優勢だった時代のフインキが、伝わってくるような気はしますですねえ
無題 名無し 04/16 557542
IP:1.66.*(spmode.ne.jp)
艦上の炊事施設としてはパンを焼くのとごはんを炊くのはどちらが
手間なんだろかね
パンの方が日持ちはしそうではあるけれど
無題 名無し 04/17 557570
IP:153.139.*(ocn.ne.jp)
パンは粉から作ると数時間かかるので
コメを炊くのとは全く比較にならん程の、巨大な手間が掛かる
無題 名無し 04/17 557571
IP:106.73.*(enabler.ne.jp)
博識な諸賢に質問!
船の上でどうやって料理するの?
特に中世の木造船時代だと、船の上に竈を設けるのは防火的に大変そう
無題 名無し 04/17 557572
IP:119.26.*(zaq.ne.jp)
>No.557571
船の食事ってビスケットに干し肉といった保存食で調理はしない認識。
(でもマリー・セレスト号事件では温かい食事が残っていたなんて証言もあるな)
無題 名無し 04/17 557573
IP:106.73.*(enabler.ne.jp)
船内にかまどはあったけど凪の時にしか火は使えなかったので
ちょっとでも荒れたら冷たいスープを飲む事になるとか
石炭のかまどではパンやスープがまずくなるとぼやいてる日記があるとかなんとか
無題 名無し 04/17 557577
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
船上調理自体は例えば紀元前2世紀頃のローマなどでも既に行われていた可能
性はあるようなんですが、考古学的証拠に乏しいため詳細は不明なんですとか

明らかに加熱調理を行っていたことが物証と共に明らかになのは7世紀ごろで、
ビザンチン時代の沈没船の調査ではタイル敷きの調理場が備えられ、船上で煮
炊きしていたのが確かめられているとのこと

その後13世紀ごろから、木製や鉄製の箱の中に土を詰めてその上で火を焚いた
り、レンガで組んだ炉を用いる船内調理室が各国の帆船に標準的に備えられて
行くようになり、コロンブス=サンの大西洋横断航海などの際も、船上でシチュ
ーなどが乗組員さん達に提供され、簡易なパンが焼かれた記録なども残されて
いるそうです

(画像は1545年に、仏軍の攻撃で沈没した英軍艦メアリ・ローズ号の調理用炉)
無題 名無し 04/17 557578
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
その後長らくレンガ製の炉が帆船調理場の標準であったそうなんですが、エゲ
レス海軍などでは1750年頃から重量の嵩むレンガ炉に代わって、鉄製のレンジ
を小型艦艇などに採用し始めたんだそうで

1780年にはスコットランド人技術者のアレクサンダー・ブロディー=サンが、
「ブロディ・ストーブ」なる容量250ガロンのボイラー2基に、煙突内の排気で
回転する焼き串や、蒸留水を製造できる復水装置、一度に約80ポンド(36kg)の
パンを焼けるオーブンなどを組合わせた鉄製の複合調理装置を開発、その利点
を認めた英海軍とめでたく長期独占契約が結ばれたそうです
(画像はネルソン=サンのトラファルガー沖海戦時の旗艦「ヴィクトリー」艦内の
ブロディ・ストーブ)

その後他社製の改良製品なども遂次導入され、普及していったそうなんですが、
ちょうどナポレオン戦争期あたりが、軍艦艦上における調理設備の久々の大幅
変革期になったということみたいですなあ

無題 名無し 04/17 557579
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
余談ですが、WW2時に米海軍のエセックス級空母「フランクリン」に配属になっ
た従軍司祭のジョセフ・T・オカラハン=サンと言う方の手記に、同艦の調理施
設についての記述も有るんですが、曰く

「調理室に隣り合ってパン製造所があり、そこは、どの部署からも羨ましがられ
るところなのだ。毎朝、ここの窯からは数百個のパン、上質の海軍パンが焼かれ
た。アメリカのお国自慢のために惜しまれるのは、自家製のパンを作り出す技巧
が市民の世界で忘れられてしまったことである。しかし海軍のパン屋は、その腕
前を立派に保っている」

「パン屋の前までくると、私の艦内巡視は公けではなくなった。それまで無言の
観察者であった私が、そこでは自ら好んで協調者となった。パン屋の一人は私を
招いて、パンの味見をさせるのだった」
無題 名無し 04/17 557580
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
「そこは、フランクリン号内の私の視察を切り上げるにふさわしい場所のように
思えた(略)私はいっぱいの熱いコーヒーと、拳大の焼きたて海軍パンを手にして
腰を落ち着け、もっともらしい理屈話をながながとこねまわすのだった。パン屋
と友達になるのはつねに楽しいことである」

…とのこと

毎日毎日下手すれば数年前に焼かれたカチカチの乾パンばかりであったかつての
帆船時代の船員さん達と比べれば大違いですが、私ら日本人が炊き立てのゴハン
が船の上でも食べたい!と思うのと同様、やっぱり焼きたてホカホカのパンを食
べたい!というニーズは、やはり海の向うでも切実なモノだったんでしょうか…w
無題 名無し 04/17 557582
IP:160.248.*(nttpc.ne.jp)
北前船のような沿海航路なら弁当を持って乗れば炊事の必要は少ないかと思えば
(実際米子の駅弁屋「吾左衛門鮓 米吾」も廻船の船子の弁当として発達したと称している)
最下級の船員は「炊(かしき)」と呼ばれる炊事要員で常時炊事をしていたらしい
船員の食事は手っ取り早く炊ける為か当時としては贅沢な精白米で
交易をする港への入港前には大量に飯を炊き上げ、握り飯を土地の人や子供に振る舞って
客寄せ、景気づけにしたとか
また航行中は海賊に対する自衛用武器として大釜に粥を煮続けていたという話も
(柄杓で浴びせかけると熱湯よりも重篤な火傷になる)
無題 名無し 04/18 557586
IP:106.73.*(enabler.ne.jp)
みんな教えてくれてありがとー!
しかしナポレオン戦争当時から、既に軍船にボイラーが積まれていたとは初耳だったわ
船用ボイラーの歴史は、推進用の蒸気機関としてではなく、まず製水と製パン用として開幕したんだね

きっとパン職人と一緒にボイラーをメンテナンスする専門の技師も同乗するようになって、専門の教育課程やノウハウも発達して、
それがやがてイギリス海軍のいち早い蒸気機関の導入に繋がっていく事になってたりするのかな
無題 名無し 04/18 557587
IP:49.104.*(spmode.ne.jp)
イギリス海軍はなんだかんだで先進的よね
その一方でビタミンの効用を認めずに何世紀も壊血病の患者
を量産し続けるとかギャップが凄かったりもするけど・・・
無題 名無し 04/18 557589
IP:160.248.*(nttpc.ne.jp)
THE ROPE(ザ・ロープ)という帆船模型サークルのホームページがあって
そこのコラムにあるエッセイ「帆船時代の英国海軍ー海洋小説を10倍楽しく読むための雑学ー」
から「第3章 英国海軍の食卓」が各地の博物館の展示内容なども引用していて
わかりやすいのでご参考までに
無題 名無し 04/18 557596
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
IJN経理学校の教官だった森田廣せンせいの「調理法教科抜粋」等による
と、IJNに採用された食パン(生麺麭)のレシピは、小麦粉1kgに対しじゃが
いも(100g)1個、水720CC、砂糖112g、塩15g、茹でたじゃがいもに塩と砂糖
の半量を加えてすりつぶし、乾燥イーストを加え12時間寝かせて発酵させ
たものをパン種として使用したそうです

東京下谷黒門町(現台東区上野)で1913年(大正2年)から食パン製造工場を営
んでいた、田辺玄平さんと言う方の製パン法が導入されたそうなんですが、
氏は1901年(明治34年)から1910年まで渡米して現地の製パン法を学んだ経歴
の持ち主であったんですとか

エゲレス海軍に範を求めたIJNが、食パンに関してはアメリカ式を導入した
のはちょっと意外な気もしますが、ある意味古き時代の米国製パン法の流れ
が、日本カイグンの中で脈々と受け継がれることにというコトみたいですね
無題 名無し 04/18 557597
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
余談ですが、1942年の米国陸軍のテクニカル・マニュアルの一つ「陸軍
調理の手引き」の中には、野外用パン焼きオーブンの温度の計り方という
のもきちんと載っているそうなんですが、先述のように、基本戦争初期の
米陸軍の野戦オーブンは年代物の設計なので温度計がなく、、マニュアル
によれば点火後に、パン焼き係の方がその中に手を入れてみて(できれば
ゆっくりと)数をかぞえ、耐えられる回数により温度を判定できるとして
いるそうです
・8カウント…230度から260度(高温)
・9〜12…200度から230度(熱め)
・12〜16…160度から200度(中温)
・16〜18…120度から160度(適温)
・18〜20…90度から120度(低温)
…というのが目安だそうですので、何らかの理由でもし万全でない設備で
手作りパンを焼かなかければならなくなった時には、覚えておくと役に立
つかもしれません(棒)
無題 名無し 04/18 557598
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
一方、1941年に竣工した戦艦「ワシントン」のパン製造班所属だった二等
兵曹のジョン・バーンズ=サンと言う方が、初めて乗艦した「ワシントン」
で自分の仕事場を見た時の印象を語られている所によりますと、

「パン焼き場で、私は自分が見たものが信じられなかった。すべてが美しい
ステンレスの新式の設備だった。ミキサーでもオーブンでも、訓練中にしか
見たことがなかったものだった。全く最新式のパン焼き場だったのだ。これ
に比べたら『テネシー』なんかはまるで古くさかった」
…そうなんですが、
「しかし誰が設計したのか、パン焼き場で何が行われるかということがまる
で考えられていなかった。パンこね場は反対側というように、あらゆるもの
がまちがって配置されていて、とても仕事になりそうもなかった」

…んですとか
無題 名無し 04/18 557599
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
「私が独り言でののしると、そのとき、そばにグリーンの作業衣を着て野球
帽をかぶった大きな男がいて、何か問題があるのかと聞いた。そこで私は、
ここの配置を決めたバカ者の悪口を言ってどなった」

「その男は、あとでわかったんだがベンソン艦長で、翌日雑役兵たちが大ぜ
い降りてきて、動かせる限りの設備を動かした。それでずいぶん使いよくは
なった。しかし、最も効果的に使えるようなところまではいかなかった」

…そうなんですが、温度計も付いていない旧式オーブンと最新鋭機器満載の
艦内製パンライン、陸海軍でいかにも対照的ながら、実際に現場で働く人の
ことをまるで考えていないマニュアルや設計に悩まされていた、という所だ
けは共通だったというコトなんでしょうか…w

無題 名無し 04/19 557610
IP:106.73.*(enabler.ne.jp)
>「しかし誰が設計したのか、パン焼き場で何が行われるかということがまるで考えられていなかった。パンこね場は反対側というように、あらゆるものがまちがって配置されていて、とても仕事になりそうもなかった」

キッチンの配置はなかなか難しそうな問題だな
陸上のキッチンなら動線だけを考えていればいいけど、
軍艦ともなると、吸排気・上下水の配管の関係のせいで配置自由性は狭いし、さらに加えてダメコン時の復旧性や避難の動線まで考えなきゃいけないからな

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