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本日4月12日はパンの日です
無題 名無し 04/25 557746
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
「斯くの如き膨張米食への進展は、本邦の資源と食習慣との要求を科学的技術的
に解決し、軍用の目的を達せしめんがために研究されたものであるが、人類の文
化殊に飯食民族は総ての穀物を斯くの如き加工食用に向かわしむるものではない
かと考えられる」
「総じて我が軍用パンを考える時、たたかいは食文化の母であることに気付くで
あろう」

…という氏の結言からは、戦後GHQの統治下で進められた欧米型パン食の導入とは
また違う、単なる外来文化の模倣に止まらずに、日本発の新しい食文化創設の創
設につなげるのだあ!という戦前のパン食推進派の意気込みが感じられましたり

米粒を形のまま加工し、梅干しとカツブシを添えた圧搾口糧が、かつてのコメ加工
保存食品である糒の焼き直しというよりは、むしろ日本の国情に有ったパンのカタ
チを追求した結果生まれたものであった、というのは、ちょっと興味深い話ではあ
りますですねえ…
無題 名無し 04/25 557747
IP:114.185.*(plala.or.jp)
米粉パンや味噌パン的な路線には行かなかったんだ…
無題 名無し 04/26 557758
IP:49.104.*(spmode.ne.jp)
米粉は乾パンに入れたりもしたけど、小麦粉だけの場合よりガチガチに硬くなったり、
逆にその為に割れやすくなっていざ食べようとしたら粉々になってとりとあまり
成績が良くなかったみたいね
小麦粉の中ですらそういう理由で乾パンに向かない品種とかあったみたいだし・・・
無題 名無し 04/26 557763
IP:117.102.*(zoot.jp)
戦国時代の兵法書では、干した梅干しの果肉だけを固めて携帯するよう
勧めているんですが、口にする為ではなく見て口の中に唾を沸かせるた
めということらしいですね(笑)
兵糧丸なんかも考えてみれば、糧食パンの元祖に当たるわけなんでしょ
うか…?
無題 名無し 04/26 557764
IP:183.74.*(spmode.ne.jp)
西洋から鉄砲と一緒にパンの製法なんかも伝わってるはずなんだけどね
兵糧としては余り広まらなかったな
無題 名無し 04/26 557769
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
そもそも4月12日が「パンの日」とされた由来は、1842年のこの日、伊豆韮山
代官だった江川太郎左衛門(坦庵)さんが、自宅の庭に築いた竈でパン製造を
始めた故事に由来するそうなんですが、此の時江川さんが製法の伝授を乞う
たのが氏の西洋砲術の師匠だった高島秋帆さんの門弟作太郎さんと言う方で、
長崎のオランダ屋敷で料理方を務めておられたそうです

従って、江川さん以前から日本国内でもパン製造は行われ、レシピも知られ
てはいたそうなんですが、海防警備の任務を幕府から与えられた立場で、な
おかつ当時の諸外国との緊張した関係に危機感を覚えていた江川さんが、将
来起こりえる本土防衛戦での携帯糧食として改めてパン製法の確立を目指し
た…という経緯が評価されての「パン祖」認定で有るんだそうで

つまりは日本近代パン史自体が、軍用レーションとして開発から始まった…
ということになるみたいですなあ
無題 名無し 04/26 557770
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
そんな江川さんが作太郎さんから学んだオランダ仕込みの製パン法は、「饂
飩粉(小麦粉)」を「饅頭の元(醴、酒ダネ)」で発酵させた後石積みの竈で焼
き上げるという、若干「長崎の工夫」の入った日本風にアレンジされたもの
であったそうなんですが(パン酵母の代用なんでしょうね)、「出陣等に用い
候分」については、一度焼き上げたパンを、十分に中で薪を炊いて加熱した
釜の余熱で、更に水分を充分乾燥させるとしているそうです

そのようなパンは1年程は持ち、長崎では既に「大釜二つ」が造られていて、
火災時などの非常食として備蓄されているともしているんですが、鶏卵や
砂糖などを入れ「味宜候」とすることはできるものの、そういうパンは「
却って飽き、十日と食し訳にはまいり兼」るため、小麦粉に塩だけ加えた
シンプルな味付けが一番だ…というのは、後年の旧軍の研究にも通じる所
があって、興味深いところでありましたり
無題 名無し 04/26 557771
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
其の後、伊豆韮山で製造が始められた兵糧パンのレシピを見ると、更に
独自の改良が加えられて行ったことが見て取れるそうで、例えば建設に
手間のかかる石窯ではなく、鉄製の平鍋で焼くことで、パン焼きに向い
た設備や経験者の乏しい当時の日本でも、出来るだけ手軽に製造できる
ように考慮されたものになっているんですとか

また江川さんが紹介する「西洋人兵糧」たる「パンの方」は何種類かあ
り、「麦粉160目、砂糖40目、玉子5つ」を水でこね、「焼鍋」で焼くと
いうオカシめいたものから、小麦粉と砂糖を醴で発酵させた生地を焼く
もの、小麦粉と醴だけのものと様々なんですが、一方ではこれらは「い
づれも製方手重にて不宜」であるため、「一番手軽候て実用に相成」方
法として、水でこねた小麦粉を醴を入れずそのまま「まるめおし平め、
ぬく灰にて焼」くなんて、野戦向けの方法なども紹介しておられたりす
るそうです(塩気が欲しい時は塩水でこねると良いそう)
無題 名無し 04/26 557772
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
他にも水戸、長州、薩摩藩などでも独自に「兵糧パン」の開発が進めら
れていたそうなんですが、西洋兵学導入に積極的で、兵糧パン開発も自
ら主導したという薩摩藩藩主島津斉彬さんなどは、

「軍の要は兵士を大切にし、第一食事乏しからざるように心を用いるを
肝要とす、此品(※兵糧パン)は攻守の間において已むを得ざる場に用い
る手当なれば、分て念入れ、味良きように製すべし」

…と訓示されておられるんですとか

薩摩藩でも、パンを煮炊きできない状況下での非常用携帯食と位置付け
ていたことが伺えるんですが、その後戊辰戦争の折にも、江戸の菓子商
風月堂に5千人分の「黒胡麻入りの麺包」を委託発注し、大いに活用して
いるんだそうで

無題 名無し 04/26 557773
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
当時の風月堂は未だ和菓子屋さんだった時期、従って製法は薩摩藩側か
ら指導が行われたものと推測されているそうなんですが、その後明治期
に先述のようにIJAから風月堂が乾麺麭の製造を委託されること、また現
在も流通する乾パンの多くが黒胡麻入りだったりすることを思うと、その
辺の歴史上の繋がりが感じられる気がしますですね

因みに余談なんですが、戊辰の戦の最終段階、旧幕府軍が松前城を攻略し
した際にも、地元のお菓子屋さんに兵糧パンの製造を命じているんだそう
で、その菓子商の息子さんだった大野藤造さんと言う方の回想に依ると

「親父が顔を出すと役人から『近く戦が始まるが、パンちうものをつくっ
てくれ』という話で、ポンと小判で百両の金を渡された」
無題 名無し 04/26 557774
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
「お恥かしい話だがパンちうものは見たことがない(略)板の間に頭をつけ
て断った、しかし、お役所では『それでは製法を教えてつかわす』という
ことになって、小麦粉でつくるパンをはじめて知った」

「ところがその小麦粉がなかなか間に合わない。ソコで(略)ごめかも(※
カモメ)の卵のことを考え出した(略)小島と大島(福山より数マイル沖の無
人島)にごめかもの卵が島一面にうみつけてある」

「何千という卵を船で運んで、これでパンをつくって(略)納めたところが、
大変な評判、こいつは好物だとまた三百両を渡されたが、まもなく戦いが
はじまり、パンは間に合わなかった」

…そうです
無題 名無し 04/26 557775
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
お菓子商さんですら「パンちうものは見たことがない」時代に、顧客の軍
隊側からレシピを教えて製造してもらったというあたり、おそらく薩摩藩
と風月堂とのやり取りも似たようなものだったと思われるんですが、カモ
メの卵をたっぷり使った北海道ならではの御当地兵糧パン、少なくとも当
時の榎本軍の方々には大いに好評であったようです

あの土方歳三も食べた(かもしれない)!トシちゃん感激!!パンとして復
刻したら、あるいは需要があるかもしれませんが、本物のカモメの卵を原
料に使うのは、ちょっと現代では色々とハードルが高すぎるかもしれませ
んですねえ…w
無題 名無し 04/27 557783
IP:202.229.*(nttpc.ne.jp)
戊辰戦争では佐幕側だった越後長岡藩でも兵糧に「固パン」を採用していますが
これも製造に当たったのは藩御用達の菓子舗「紅屋重正」
同店名物の「大手饅頭」は酒饅頭の一種なので
この固パンの発酵にもイーストでなく酒種が用いられていた可能性が高いと思われます

画像は同地の越乃雪本舗大和屋で製造販売している『継さ』
(長岡藩の指導者でカットリング砲で有名な河井継之助の渾名にちなむ)
『戊辰戦争時に越後長岡藩に兵糧として納めたパンからイメージして』
越後長岡藩主牧野家の家紋の三つ柏の焼き印が押されている焼菓子ながら
如何に菓子屋の製造になるとは言え実際の兵糧がこれに近かったとは考えにくいですねえ
無題 名無し 04/27 557785
IP:49.104.*(spmode.ne.jp)
まあ戦時ならともかく平時にまでわざと質素につくる意味はないしな・・・
逆に今なんか、自衛隊の増加食とかに市販の菓子パンがそのまま流用されたりするね
無題 名無し 04/27 557786
IP:202.229.*(nttpc.ne.jp)
>他にも水戸、長州、薩摩藩などでも独自に「兵糧パン」の開発が進められていたそうなんですが
そのうち長州では長崎に滞在した経験のある萩の科学者 中嶋治平(なかしま じへい)が
陶磁器で焼いた「備急餅」という名前のパンを作ったという記録がありまして
長州藩はこのパンを兵糧食として採用し、幕末維新の際奇兵隊や振武隊など諸隊に支給
そのレシピは「麦粉一斤、卵五ツ、糖少許、本五勺」と書かれていることから
小麦粉、卵、砂糖、そして本(もと)と呼ばれる酒母が材料に使われていることがわかります
レシピはそれとして「陶磁器で焼いた」というのが引っかかるところでして
オーブンを持たない日本文化のこととてパン焼き窯が無いのは当然ながら「陶磁器」とは
萩焼の本場のこととて陶磁器でダッチオーブンのようなものでも作ったのかと想像しますが
この辺地元などで詳細を御存知の方はおられませんでしょうか
無題 名無し 04/27 557788
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
江川太郎左衛門さんの高島流西洋兵学における兄弟弟子にあたる方で、出羽
山形藩の水野忠邦さんの腹心だった砲術家の秋元宰介さんと言う方がいらっ
しゃるんですが、この方の残した「銃礮必書」と題する手記の中にやはり「
パン法」が紹介されているんですが、こちらのレシピもほぼ江川流と同様で

「うどん(※=小麦粉)160目、甘酒5勺」
…というものなんですが、これを
「土鍋に油をよくぬり、それへ蕎麦の練り加減にて丸めて入れ、まず下より
焼き、こげ候えば、かえし上より焼く」
…としています

江川さんの鉄鍋に対し、土鍋で焼き上げるのが秋元流であったみたいなんで
すが、コレもパン焼竈を必要としない製法の一つということみたいですねえ
無題 名無し 04/27 557789
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
因みに長州藩の「備急餅」、実際に大量製造を担当したのは、椿郡の泉流窯
の経営に従事されていた大賀大眉さんという陶工さんであったそうで、「日
本のパン四百年史」などによると、慶応2年(1866年)5月、中島治平さんから
伝授された「備急餅」を本格的に製造してみたいので、どうか補助金くださ
いませ!という請願書を藩庁に提出されておられるそうです

「焼調候に付竈にて先ず相試可申と奉存候」

…とのことで、もう窯で焼く準備は出来ているとしているあたり、江川流や
秋元流のように鍋で焼くための竈を作っていたのか、或はもともと陶器製造
業ということで、陶器用の窯を流用したものかのどちらかと思われるんです
が、この申し出はめでたく許可されて、「銀4貫目」が支給されたとのこと
無題 名無し 04/27 557790
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
実際の「備急餅」ファーストロットの製造にかかった費用の内訳は、小麦粉
10袋(1袋懸目150目入)が25匁、玉子15斤が6匁、焼き上げるための薪7把が10
匁5分、作業に当たる職人さんが2人でお賃銀が20目、合計61匁5分

これで製品が172個、1個あたりの代金が3分6厘2毛という見積もりであったそ
うなんですが(この時は砂糖は入っていなかった模様)、実際にこの年6月から
戦われた第2長州征伐(4境戦争)では早くも使用されていたようで、石州口に
出兵した「振武隊」から軍制総掛だった木戸孝允さんに、兵粮が不自由なので、
「パン1万ほど」補充してほしい、なんて依頼が出された記録が残されている
んですとか

タイムリー過ぎて、これだけの数が実際に製造できるだけの製造ラインが間に
合ったのかはちょっと気になりますが、或は長州側の勝利には、この新型携行
糧食も、いくらかは貢献していたのかも知れませんですなあ
無題 名無し 04/27 557792
IP:202.229.*(nttpc.ne.jp)
詳細な御教示ありがとうございます

無題 名無し 04/27 557795
IP:202.222.*(tvk.ne.jp)
だいぶ昔にここで見たスレだけど。
戦後、ほとんど被害が無かった東京のパン工場が、駐留軍に接収された話を思い出した。

焼き麩はパン替わりにならないのかな?基本は乾燥して販売だから、適切に保管すれば日持ちする。
無題 名無し 04/28 557798
IP:202.229.*(nttpc.ne.jp)
麩は小麦から蛋白質であるグルテンを抽出して作るものだから
残った小麦澱粉を別途利用する手段を講じるなど無駄が多いのでは
無題 名無し 04/28 557801
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
昭和17年(1942年)の読売新聞文化欄のコラムに、IJAの糧食研究の大家として
高名な川島四郎せンせいが、関西の焼き麩屋さんから「航空糧食」にうちの
製品を採用してくれまへんか?と売り込みがきた話を書かれておられるんです
が、どういうつもりで焼き麩が良いと思ったのか?と訊ねたところ、返ってき
た返事は

「軽るおますさかいなあ」

…の一言

日頃自分が一生懸命研究している航空糧食も、世間の理解はコンナものか…
と思わずガックリ来てしまったそうです
無題 名無し 04/28 557802
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
とはいえ、川島せンせいによれば、当時IJA糧秣廠などには毎日1〜2件は民間
から新しい軍用食のアイデアが持ち込まれていたそうで、決して粗相には扱わ
ず、丁寧に審査の上回答しておられたそうなんですが、流石にいちいち口頭で
説明していては手数がかかるので、予め文章に例えば携帯口糧なら
・目方の軽いこと
(例、餅は日本人の共通の嗜好品で主食になるが(略)重いので落第)
・おいしいがいくら食べてもあきの来ないもの
(例、カステラは真にうまいが三日もつづけたらあきてしまう)
…などの必要条件を列挙した採点表を作成、それらの項目パスしているかどう
かチェックすることで、分かりやすく採点していたんですとか

そしてこちらでも、焼き麩は軽くてよく、また沢山食べれば腹ごたえはできる
が、かさばって困るとして、携帯口糧には向かない…とされておりましたり
無題 名無し 04/28 557803
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
そんな川島せンせいが、
「しかるに日本にはこれらの(※軍用)ビスケット、乾パンにまさるともおとら
ぬくらいの立派な一種の乾パンがある」
…と激推しなのが、「高野豆腐」だったりするんですが、
「目方が軽いし、容積も四角でキチンとしてかさばらないし(略)良質の蛋白質
ばかりで(略)腐る心配もない」
…とのこと

ただまあ、製法が乾パンより少し手間がかかるのが大量生産にはネックになり
そうではありますが…

また余談ですが、古来の兵糧丸にも着目して研究を進めたせンせいが、我々の
研究に、面白いヒントを与えてくれた…と評価するのが
「大坂夏の陣に使った徳川勢の携帯口糧」
…であったそうです
無題 名無し 04/28 557804
IP:122.131.*(mesh.ad.jp)
「『委縮した体を引き起こし、沈滞した士気を引き起こす』というので、当時
その兵糧丸の名前を『ひきおこし』といっていた。ところが、いつの頃からか
『ひきおこし』の『ひき』が取れてしまって『おこし』という言葉だけが残る
ようになった」

「大阪名物の『おこし』がそれである(略)そう思って見ると、この『おこし』
は、粟を炒ったり、米を炒ったりして、それを飴で圧搾して固めたもので、明
らかに携帯口糧の風格を備えている」

…とのこと

温故知新という言葉がありますが、将来もしかしたら自衛隊の戦闘糧食にも、
「高野豆腐」や「おこし」利点が生かされた新型ビスケットかクラッカーが、
採用されるようなこともあり得るかもしれませんですね…w
無題 名無し 04/29 557819
IP:202.229.*(nttpc.ne.jp)
逆に軍用ビスケットをルーツとする菓子として英国に「ガリバルディ」というのがありまして
1840年代に始まるイタリア統一戦争にジュゼッペ・ガリバルディ(ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッツィ級軽巡洋艦の2番艦として御存知の方も多いかと)のもとで従軍した英国人傭兵が、サルディニア軍で支給されていた干し葡萄入り固パンを英国に持ち帰り、かつての上官の名を冠して商品化したものとも、ジュゼッペ・ガリバルディがイギリスを訪れたことを記念して作られたともされるものなんですが、製法としては2枚の固パン種の間にレーズンを挟みこんで押し伸ばし、焼く、というもの。
>このお菓子のガリバルディに出会った東ハトがその製法をベースに開発した商品が、東ハトオールレーズンである。
んだそうで、お茶請けにこれを摘まみつつイタリア統一戦争をしのぶのもよろしいかと
無題 名無し 05/06 557926
IP:115.36.*(commufa.jp)
江川邸でのパン祖パン再現観てきてたんで貼りますね(このスレに今気付いた)
無題 名無し 05/06 557927
IP:115.36.*(commufa.jp)
使ってる鍋は蔵に残ってた物で群馬の焼き芋鍋ではないかと
無題 名無し 05/06 557928
IP:115.36.*(commufa.jp)
酵母が甘酒の糀だもんで甘酒の香りのするフォカッチャのようなパンチ祖パン
これだけ食って水飲むという訓練やったから幕末の訓練参加者全員下痢になったどうです

無題 名無し 05/11 557949
IP:130.62.*(transix.jp)
コメントが遅くなった
昔の鄭和艦隊は船でモヤシ栽培してたりニワトリ飼ってたから船で中華鍋ふるってたんかな

続きを見る01日07:13頃消えます









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