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>神学的な宗教的用語の中で信仰という語ほど誤解と曲解と怪しげな定義をされている語は他に無いであろう其れは人々の治療の為に用いられるよりも先にまず其れ自身が治療を要する用語の一つである >今日では信仰という用語は健康よりも寧ろ疾病を生じさせており其れは混乱と誤解とを引き起こし懐疑と狂信そして知的抵抗と情的献身更に真の宗教の排除と代用宗教への屈辱とを交替的に生み出している >真に信仰という語は全く廃止すべきであるとさえ言いたくなるが然しこれは望ましいことではあるがまず実行不可能であり此の語は強力な伝統に依って保護されている >又此の語が指し示す現実を表現する他の代用語が未だ出来ていないのであり差し当たり問題を処理する唯一の方法は此の語の持っている様々な混乱を招く歪曲的な意味を数世紀の遺産ではあるが除去することである >内なる隠れた信仰の力を確信させ信仰が向かっているものの無限の意味を明らかにするという遠大な目標は達成することが出来ないにしても少なくとも上記の目的に成功すること其れが信仰とは何で在るかと同時に何で無いかを語ったティリッヒの願いでもあった