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>このように暴君ライフを満喫していま海陵王だが彼の欲望はとかく際限がなかった。彼は金の南にある漢民族による国家「南宋」を滅ぼし、その君主を自分にひざまずかせるという望みを持っており、その野望を果たすべく南宋への遠征を計画。また生母から遠征を諌められるとこれをサクッと殺害。遺体を焼き払った挙句残った遺灰を川に廃棄した。こうして彼は周囲の反対を押し切り大軍を率いて南宋に出兵。しかし母親まで殺して行ったこの遠征はあっけなく失敗に終わってしまう。金軍は采石磯の戦いで敗北。更に本国では海陵王のいない隙をつき反海陵王派が反旗を翻し、従弟である世宗を擁立してしまう。これにより海陵王は完全に追い詰められ、最期は部下の裏切りに遭い殺害されてしまう。ちなみに死後の海陵王は皇帝として認めてもらえず「海陵郡王」と呼ばれ、その後「王」ですら相応しくないということで庶人に落とされた。金の正史である『金史』においても彼の名は「廃帝海陵庶人」と記されている。