二次元裏@ふたば
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139662 B無念Nameとしあき26/04/07(火)21:46:01No.1399287110+ 08日02:48頃消えます
八股文スレ
削除された記事が1件あります.見る
1無念Nameとしあき26/04/07(火)21:46:47No.1399287299そうだねx2
という体裁の科挙スレ
あんなコピペに荒らされたままで終われるか
2無念Nameとしあき26/04/07(火)21:47:51No.1399287560+
科挙とは
中国で598年 - 1905年すなわち隋から清の時代まで
約1300年間にわたって行われた官僚登用試験である
同様の制度は中国だけでなく朝鮮ベトナムにも普及した
3無念Nameとしあき26/04/07(火)21:48:09No.1399287648そうだねx1
明・清時代の科挙試験で採用された文体で、破題・承題・起講・入手・起股・中股・後股・束股の8部分からなる厳格な構成と、対句を多用する形式が特徴です。
1905年の科挙廃止とともに実用性は失われましたが、近年は中国の大学教育や文学研究において、その論理的な文章構成力や格調高い表現技法が伝統文化の視点から再評価されています。
現代の中国語圏では、内容が乏しく形式ばかりが整った空疎な公式文書や、マンネリ化した文章を指す批判的な比喩表現として日常的に使われています。
4無念Nameとしあき26/04/07(火)21:48:58No.1399287861+
八股文とは中国の明や清の時代に科挙の答案として用いられた特殊な文体のことである
八股文は四書文、八比文、時文、時芸、制芸、制義とも呼ばれることがある
四書五経の中から出題された章句の意味について
対句法を用いて独特な8段構成で論説した
5無念Nameとしあき26/04/07(火)21:49:38No.1399288031そうだねx1
>現代の中国語圏では、内容が乏しく形式ばかりが整った空疎な公式文書や、マンネリ化した文章を指す批判的な比喩表現として日常的に使われています。
ここすげえ重要
中国共産党が全力で排除しようとした旧弊
6無念Nameとしあき26/04/07(火)21:51:40No.1399288559+
洪武帝は軍師の劉基とはかって科挙には朱子の解説による四書を主眼とした
これは洪武帝や劉基が朱子学を奉じており
この学派が四書を重視していたためである
こうして宋代と代わって難解な教典である五経は二の次とされた
そして明朝期の受験生は答案の書き方として
八股文が指定された

明太祖は万能の天才である
7無念Nameとしあき26/04/07(火)21:53:28No.1399289052+
清朝期の八股文は明の時代のものが踏襲された
中国に於ける八股文の使用は1902年(光緒28年)に清朝政府が科挙の試験での八股文の使用を禁止するに至るまで継続された
尚、2年後の1904年(光緒30年)に最後の科挙試験が行われ
翌1905年(光緒31年)には科挙制度そのものが廃止されることとなった。

ということで20世紀まで科挙どころか八股文まで使われていた
8無念Nameとしあき26/04/07(火)21:58:48No.1399290467+
八股文は形式主義の極みとして現代では厭われているね
麻雀で例えるとハナっからフリテンや役無しで形テン狙うようなもん
9無念Nameとしあき26/04/07(火)22:02:30No.1399291427そうだねx1
73歳にしてやっと進士に合格できた詹義という人物が遺した自嘲の詩
読尽詩書五六担
車に山ほど積んだ書物を読んで
老来方得一青衫
年老いてやっと手に入れた官吏の肩書き
佳人間我年多少
娘さん達に歳はおいくつと訊かれたら
五十年前二十三
50年前は23と答えるさ
10無念Nameとしあき26/04/07(火)22:02:56No.1399291558+
    1775566976718.png-(296615 B)
296615 B
このようにボロクソに言われるのである
11無念Nameとしあき26/04/07(火)22:07:23No.1399292695+
朝鮮の科挙は両班の子弟が主に受けていたとのこと
貴族によるノウハウの独占って感じ
12無念Nameとしあき26/04/07(火)22:10:32No.1399293546そうだねx1
流石に八股文でスレ伸ばすのは厳しいのでは…
13無念Nameとしあき26/04/07(火)22:11:08No.1399293722+
>73歳にしてやっと進士に合格できた・義という人物が遺した自嘲の詩
宋代は軍縮してたイメージがあるから士大夫に殺到してそう
他の時代より倍率高かったのかね
14無念Nameとしあき26/04/07(火)22:11:48No.1399293911+
>流石に八股文でスレ伸ばすのは厳しいのでは…
それは理解しているので科挙スレでいいよ
形式上は八股にしとこうという八股精神で自演してただけさ
15無念Nameとしあき26/04/07(火)22:13:48No.1399294420そうだねx1
最終試験の殿試は皇帝からの下問に対して意見具申をするという形で行われるのだが
『朕は日夜勉学に励み熱心に政治を執っているが天下は思うように定まらない。これはなぜか。それを改善する方法とは?』
てな具合の回答するのに神経を使う問題が出される事も多かったという
16無念Nameとしあき26/04/07(火)22:13:52No.1399294439+
隋代の科挙は、秀才・明経・明法・「明算」・明書・進士の六科
唐では、秀才、進士、明法、明書、「明算」などの科目が設けられた

王安石が進士以外デリートしたぜ!
17無念Nameとしあき26/04/07(火)22:14:23No.1399294589+
>八股文スレ
!記号があるんだな
18無念Nameとしあき26/04/07(火)22:15:01No.1399294765+
>『朕は日夜勉学に励み熱心に政治を執っているが天下は思うように定まらない。これはなぜか。それを改善する方法とは?』
どの皇帝が出題するかで難易度が激変しそう
朱元璋や雍正帝あたりはルナティックだったんだろうな
19無念Nameとしあき26/04/07(火)22:15:22No.1399294880そうだねx1
>隋代の科挙は、秀才・明経・明法・「明算」・明書・進士の六科
>唐では、秀才、進士、明法、明書、「明算」などの科目が設けられた
>
>王安石が進士以外デリートしたぜ!
元々進士科以外ほぼ不人気だし、合格してからの立場に変わりはないんだから一本化して良かったのだろう
20無念Nameとしあき26/04/07(火)22:18:47No.1399295796+
>>八股文スレ
>!記号があるんだな
スレ画は現代人が八股っぽく書いた文章だと思われる
21無念Nameとしあき26/04/07(火)22:19:33No.1399295995+
スレ立て時に科挙の二文字も入れておくべきだったな
失敗した
22無念Nameとしあき26/04/07(火)22:22:16No.1399296744+
大半が論述だった科挙試験の採点基準が気になる
まさか袖の下で左右されることはなかったんだろうが明文化された採点基準はあったのだろうか
23無念Nameとしあき26/04/07(火)22:24:48No.1399297368+
科挙のよもやま話である儒林外史がAudibleにあってビックリ
当然ながら中国語なので俺にはわからん
24無念Nameとしあき26/04/07(火)22:27:04No.1399297996そうだねx1
受験者の名前は隠されるし、筆跡から個性も消えてるから採点での不正は起こしようがなかったと思われる
25無念Nameとしあき26/04/07(火)22:29:02No.1399298455そうだねx2
>王安石が進士以外デリートしたぜ!
政治的に対立してた司馬光が王安石の改革を踏襲した稀な例でもある
26無念Nameとしあき26/04/07(火)22:29:54No.1399298666そうだねx1
>大半が論述だった科挙試験の採点基準が気になる
>まさか袖の下で左右されることはなかったんだろうが明文化された採点基準はあったのだろうか
殿試の場合はまず天子が直々に任命した20〜30人の学者によって一次審査が行われ
それが済んだのち天子が立ち会う覆考と呼ばれる二次審査が行われた
答案は姓名のところに紙が貼られそれぞれどの受験者のものかわからないようになっており
賄賂や贔屓の類は通用しないというのが建前だった
27無念Nameとしあき26/04/07(火)22:30:08No.1399298730+
>受験者の名前は隠されるし、筆跡から個性も消えてるから採点での不正は起こしようがなかったと思われる
あのフォントそのまんま文章は筆跡抹消の意図があるンスね!
28無念Nameとしあき26/04/07(火)22:33:55No.1399299660+
レスの半分ぐらいを自演したがネタが切れてしまった
29無念Nameとしあき26/04/07(火)22:34:35No.1399299822そうだねx1
>レスの半分ぐらいを自演したがネタが切れてしまった
お疲れ
30無念Nameとしあき26/04/07(火)22:34:37No.1399299828+
八股の話なら現代中国の方がネタにする余地がありそうだな
31無念Nameとしあき26/04/07(火)22:35:58No.1399300138そうだねx1
>>大半が論述だった科挙試験の採点基準が気になる
>>まさか袖の下で左右されることはなかったんだろうが明文化された採点基準はあったのだろうか
>殿試の場合はまず天子が直々に任命した20〜30人の学者によって一次審査が行われ
>それが済んだのち天子が立ち会う覆考と呼ばれる二次審査が行われた
>答案は姓名のところに紙が貼られそれぞれどの受験者のものかわからないようになっており
>賄賂や贔屓の類は通用しないというのが建前だった
その時代の信頼できる学者複数の査読があれば信頼できる採点だったんだろうな
殿試の最終順位は差し替える余地があったにせよ
32無念Nameとしあき26/04/07(火)22:47:53No.1399302926+
寛政の改革で行われた学問吟味はどのようなものだったのだろうか
4分の3世紀くらいの期間で19回実施したようだが
最後が慶応四年で54人も受験してるのは物悲しいな
33無念Nameとしあき26/04/07(火)22:53:28No.1399304306+
>殿試の最終順位は差し替える余地があったにせよ
永楽帝「『孫曰恭』が状元に内定してるみたいだけど曰恭の二字を併せると『暴』に似て不吉だから三位に落とすね…」
34無念Nameとしあき26/04/07(火)22:54:59No.1399304698そうだねx1
>永楽帝「『孫曰恭』が状元に内定してるみたいだけど曰恭の二字を併せると『暴』に似て不吉だから三位に落とすね…」
燕賊にしてはヌルい処置だね
35無念Nameとしあき26/04/07(火)23:07:29No.1399307803+
書き込みをした人によって削除されました
36無念Nameとしあき26/04/07(火)23:20:00No.1399310750+
>>『朕は日夜勉学に励み熱心に政治を執っているが天下は思うように定まらない。これはなぜか。それを改善する方法とは?』
>どの皇帝が出題するかで難易度が激変しそう
>朱元璋や雍正帝あたりはルナティックだったんだろうな
雍正帝は理不尽ではないけど冷厳無比だからね…
37無念Nameとしあき26/04/07(火)23:23:05No.1399311430+
翰林院で学問に没頭していたいって合格者もいたんだろうか
別にガツガツ要求しなくても富貴は入ってくるし

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