軍裏@ふたば
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画像ファイル名:1725148835991.jpg-(130279 B)
130279 B無題Name名無し24/09/01(日)09:00:35 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.559921そうだねx1 12月17日頃消えます
本日9月1日は防災の日!
というわけで軍隊と自然災害のスレ
削除された記事が2件あります.見る
1無題Name名無し 24/09/01(日)09:03:40 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.559922+
あるいはどんな敵国より手強い相手に古今東西の軍人さんたちはどう
立ち向かうのか・・・
地震台風火事ゴジラ、何でも語ってどうぞ
2無題Name名無し 24/09/01(日)17:36:40 IP:59.132.*(au-net.ne.jp)No.559947そうだねx2
    1725179800261.jpg-(2645566 B)
2645566 B
犬と自衛隊
3無題Name名無し 24/09/02(月)00:23:31 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.559957そうだねx4
>犬と自衛隊
捜索犬はウクライナで戦時にも役立つのが立証されてたね・・・
4無題Name名無し 24/09/02(月)04:17:58 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.559970+
警備犬と同じく将来的にはロボになるのかな
5無題Name名無し 24/09/02(月)12:03:16 IP:59.132.*(au-net.ne.jp)No.559973そうだねx1
    1725246196797.jpg-(54127 B)
54127 B
>警備犬と同じく将来的にはロボになるのかな

災害対応はよほど技術が発達しないと無理じゃないかな
人間が膝上まで泥に埋まってろくすっぽ動けない状態で犬は四つ足すべてが埋まる状態で移動できてた
少なくともかなり重量を軽くしないと埋まって動けなくなる
6無題Name名無し 24/09/02(月)12:11:42 IP:59.132.*(au-net.ne.jp)No.559974+
補足

戦闘ではよほどの理由がなければ泥濘地なんぞ避ければ済むが災害だとその泥濘地そのものが目標という場合がほとんどなので
7無題Name名無し 24/09/02(月)17:23:50 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.559976そうだねx8
    1725265430756.jpg-(116817 B)
116817 B
自衛隊の方々による災害の被災者支援で、定番の一つである
野外仮設浴場による入浴支援、いつごろから行われているも
のなのかしらん…と調べてみたら、昭和32(1957)年の諫早大
水害時にはもう、佐賀県の陸上自衛隊九州地区補給所から
「組立式野外ブロ」10組が諫早市ほか2ヵ所に送られて使わ
れていたんだそうで

この頃の同セットの構成は木で外枠を締め付け、ボルトで組
立て周囲は帆布をロープで外枠にくくりつけてあり、縦横の
長さが各2m62、高さ0.7m、使用水位0.55mというもの

水量3800ℓ(150ガロン給水車4台分)、ボイラーの蒸気で沸かす
方式で25人用という想定であったそうです
8無題Name名無し 24/09/02(月)17:27:53 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.559977そうだねx5
    1725265673921.jpg-(305253 B)
305253 B
昭和32年8月13日の西日本新聞の記事によると、諫早市では天
祐寺というお寺さんの境内に男湯2槽、女湯1槽が設置されてい
たそうなんですが、同寺には臨時の保育所も開設されていて

「午後三時には先生に連れられた2百数十名の園児がキャッキャ
と喜びフロに入って帰る。後片づけで忙しい親たちは大助かり、
同市に派遣された4管区内の1千5百の隊員と市民を合せると毎日
3千数百人が入浴」

…していたんですとか
9無題Name名無し 24/09/02(月)17:29:56 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.559978そうだねx7
    1725265796370.jpg-(134850 B)
134850 B
当時同市内では水害時に流れこんできた泥土の後処理が重大な
問題、自衛隊の支援はその点でも非常に感謝されたそうなんで
すが、連日夏の猛暑の中泥まみれで働く隊員さん達にとっても、
「野外ブロ」の存在は有難かったんではないですかしら

現在の陸自で保有する野外入浴セットは2型とのことですが、昭
和29年(1954年)に発足したばかりの自衛隊が、この時点である程
度まとまった数を保有していたこの「組立式野外ブロ」が、1型
に当るということなんでしょかね…?
10無題Name名無し 24/09/02(月)23:46:12 IP:1.75.*(spmode.ne.jp)No.559982そうだねx3
衛生面だけでなく、精神面のケアにもお風呂は喜ばれるみたいね
・・・わんこも入れてあげたいなあ
11無題Name名無し 24/09/02(月)23:48:13 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559983+
書き込みをした人によって削除されました
12無題Name名無し 24/09/02(月)23:48:59 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559984そうだねx2
    1725288539062.jpg-(2523675 B)
2523675 B
九都県市合同防災訓練には隔年でよく行ってたのですが、最近は一般観覧席から見ようと行っても招待観覧席最優先の配置みたいになってて、一般からは例えば大きな建造物が目の前にあって見えにくかったり、会場の外周もプレス用にだんだん広く囲いが拡大してたりで、年を追うごとに見にくくなっているんですよね。
それだけ最近になるほど有力者サイドや報道の興味を引いてるという事なのでしょうが、その分生で見たく現地参加していた一般からは逆にだんだん距離が・・・・
13無題Name名無し 24/09/02(月)23:49:33 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559985そうだねx1
    1725288573113.jpg-(2469892 B)
2469892 B
本文無し
14無題Name名無し 24/09/02(月)23:51:31 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559986そうだねx1
    1725288691612.jpg-(3010952 B)
3010952 B
本文無し
15無題Name名無し 24/09/02(月)23:52:03 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559987そうだねx2
    1725288723222.jpg-(201381 B)
201381 B
本文無し
16無題Name名無し 24/09/02(月)23:52:29 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559988+
    1725288749725.jpg-(2100813 B)
2100813 B
本文無し
17無題Name名無し 24/09/02(月)23:52:39 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559989そうだねx1
    1725288759514.jpg-(227254 B)
227254 B
本文無し
18無題Name名無し 24/09/02(月)23:54:53 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559990そうだねx1
    1725288893821.jpg-(2893093 B)
2893093 B
12年前の横浜は一般観覧席からもこれぐらい大きく見やすかったのですが
19無題Name名無し 24/09/02(月)23:55:43 IP:106.154.*(au-net.ne.jp)No.559991そうだねx1
    1725288943598.jpg-(1975031 B)
1975031 B
本文無し
20無題Name名無し 24/09/03(火)07:54:10 IP:1.75.*(spmode.ne.jp)No.559992そうだねx2
防災は事が事だから各機関合同訓練の機会や関連イベントも多いよね
それだけ天災の多い国土ってことではあるけど
21無題Name名無し 24/09/04(水)16:40:56 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560036そうだねx5
    1725435656497.jpg-(237160 B)
237160 B
IJAの士官学校第58期生だった井上弘さんと言う方の回想に
よる話なんですが、氏の同期生の石井行毅さんと言う方は
戦後は陸上自衛隊に入隊されたそうなんですが、松戸市の
陸上自衛隊需品学校の研究員当時、「炊事トレーラー」や
「野外入浴セット」の開発に携わっておられたそうです

「前者は走行中に200人分以上の主食、副食を調理でき、
後者はキャンバス製の大浴槽で多数の隊員が入浴できる
というもの」
22無題Name名無し 24/09/04(水)16:43:58 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560037そうだねx6
    1725435838236.jpg-(219817 B)
219817 B
「いずれも完成度が高く、野戦部隊の活力維持に不可欠の
制式装備品として全部隊に普及し、小生などもその恩恵に
浴した」

…と井上氏は回想されておられるんですが、昭和51年に自
衛隊を退官された石井氏、亡くなられる前々年の昭和60年
に発生した日航機墜落事故のニュース報道をTVで見た際

「自分が開発したこれらの装備が今なお実地に有効に活用
されている様を見て心から喜んでいた」
23無題Name名無し 24/09/04(水)16:47:01 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560038そうだねx11
    1725436021227.jpg-(200464 B)
200464 B
…とのこと

自衛隊の災害派遣が行われるほどの大災害や事故のニュー
スを見て、喜ぶような方はまあ普通は余りいらっしゃられ
ないと思いますが、コレはまあしょうがないというか、技
術屋さん冥利に尽きる思いだったんでしょうね

昭和の時代に氏の開発された野外炊具や野外入浴セットが、
その後も改良を加えながら平成、令和の今も平時災害時問
わず友好に活用され続けていることを、きっといまでも喜
ばれておられるんではないですかしら…
24無題Name名無し 24/09/05(木)11:25:55 IP:117.102.*(zoot.jp)No.560064そうだねx4
元旦の石川大地震でも自衛隊の炊き出しはありがたがられてましたね
発生直後は非常食でよくても、やはり避難生活が長引けば暖かい普通
の食事の供給が避難者のひとたちの健康維持には欠かせないんでしょうな
25無題Name名無し 24/09/05(木)14:45:33 IP:59.132.*(au-net.ne.jp)No.560069+
    1725515133561.jpg-(57663 B)
57663 B
民間からの差し入れ
念のため申し上げますが私は自衛隊関係者ではありませぬ
26無題Name名無し 24/09/05(木)15:03:09 IP:126.156.*(openmobile.ne.jp)No.560070そうだねx4
温かい飯が食えるって本当に大事だからなぁ
冷や飯をとにかく嫌う中国とか災害のときとか超大変だろうな
27無題Name名無し 24/09/05(木)16:55:50 IP:106.73.*(enabler.ne.jp)No.560072そうだねx2
鬼怒川氾濫のときに、テレビで見たライブ中継を今だに覚えてるわ

1つの画面の中に、屋根の上の要救助者をホイストで吊り上げる救難ヘリが計4機
(UH-60JAとUH-1二機とあと警察カラーの青い謎ヘリ1機)も同時に映ってて、
「こんな金の掛かる救助方法は先進国でしか無理だな。俺、先進国に生まれて良かった」
って妙に安堵を覚えたものだわ
28無題Name名無し 24/09/06(金)03:45:41 IP:92.202.*(nuro.jp)No.560079+
    1725561941288.jpg-(222119 B)
222119 B
>警察カラーの青い謎ヘリ1機
この中に映ってる?
29無題Name名無し 24/09/07(土)20:35:27 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560137そうだねx5
    1725708927207.jpg-(280276 B)
280276 B
昭和期の陸上自衛隊で採用されていた糧食のひとつに、「包
そう食」なるものがあったそうで、内容は中圧および低圧ポ
リエチレンの袋に米と1.4から1.5倍量の水を入れ口を輪ゴム
で止めた後、沸騰した湯釜で30分ほど湯煎して炊き上げると
いうもの

炊きあがった後にはそのまま袋ごと個人に分配・携行できる
ほか、箸が無くても食べられる、おにぎりに握る手間が省け
る、未開封なら日持ちする、冷めても袋ごと温めなおせばま
た再生する…等の利点があり、野外演習時などに重宝されて
いたとのこと
30無題Name名無し 24/09/07(土)20:37:19 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560138そうだねx5
    1725709039597.jpg-(272457 B)
272457 B
そしてこの「包そう食」が陸上自衛隊に採用される契機となっ
たのが、前述の諫早市水害の際、被災者の方々に炊飯支援を
行なった第8混成団の経験であったそうで、昭和34年の伊勢湾
台風による水害の際には早速第10混成団により活用され、効果
をあげているんですとか

諫早市水害では支援物資として精米が届いても現地で炊飯が
できず、止むを得ず長崎市でおにぎりにまでしてから運んだ
なんてハナシもあったとのことですし、トレーラー式の野外
炊具も未だ開発前、辺り一面泥水にまみれた中でいかに衛生
的に多人数の米飯を用意するか…?という問題に直面した結
果の採用、ということになるんでしょかね
31無題Name名無し 24/09/07(土)20:39:50 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560139そうだねx9
    1725709190452.jpg-(244955 B)
244955 B
ただこの「包そう食」、実のところ戦前のIJAで既に採用され
ていた「袋飯」糧食とほぼ同じ原理・内容であったりするんで
すよね(こちらはセロファン等を袋として使用)

一回終戦で失われた技術が、戦後の災害をきっかけに再び陽の
目を見ることになったともいえるわけですが、当時は戦後未だ
十数年、かつての旧軍経験者もおおぜい自衛隊内におられたこ
とでしょうし、そうだ、こんな時に昔使ってたアレがあれば便
利じゃないか!と思い至った方がやはりおられたんですかしら…
32無題Name名無し 24/09/08(日)05:53:18 IP:1.75.*(spmode.ne.jp)No.560148そうだねx2
缶メシはまだなかったのかな?
あれも旧日本軍時代にはすでにあったよね
33無題Name名無し 24/09/09(月)00:26:13 IP:117.102.*(zoot.jp)No.560165そうだねx2
戦中米飯缶詰を使っていたのは海軍だけだったような…
潜水艦や飛行機の乗員用に使われていましたね
34無題Name名無し 24/09/09(月)04:02:00 IP:27.136.*(home.ne.jp)No.560167そうだねx4
>衛生面だけでなく、精神面のケアにもお風呂は喜ばれるみたいね
>・・・わんこも入れてあげたいなあ
一応飼い犬は拒否される
でも不思議なことに何故かタライと4個のバケツにお湯を張った物がテントの横に置かれてて
犬を洗ってあげたって話を聞いたことがあるんだ
35無題Name名無し 24/09/09(月)08:21:00 IP:119.26.*(zaq.ne.jp)No.560168そうだねx1
>No.560167
水害現場だと犬は洗っても無駄(どうせすぐ汚す)な気が。
36無題Name名無し 24/09/09(月)08:22:50 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.560169そうだねx4
それを言ったら人間だって・・・
ホントに大変な仕事だよねえ
37無題Name名無し 24/09/09(月)13:22:18 IP:133.106.*(ipv4)No.560171そうだねx1
犬は洗わなくていい
犬はそんなこと望んでない
身勝手な善意はいらない
38無題Name名無し 24/09/09(月)14:33:24 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560172そうだねx9
    1725860004295.jpg-(164099 B)
164099 B
昭和34年(1959年)9月26日に上陸したの伊勢湾台風災害の際、
愛知県下の被災者さん達10月31日までに配給された食糧は1千
750万食分に上るそうなんですが、うち精米が100万食、食パ
ン・ビスケットが388万食、残る410万食あまりが自衛隊から
提供された非常用糧食という内訳であったそうです
(他の資料では約280万人分の乾パンを供給したとも)

自衛隊からの食糧支援が重要な割合を占めていたことが窺わ
れるんですが、一方で現地に派遣されて装備の運用状況等に
ついて調査を行った、防衛庁第2研究所の調査官さんのレポー
トによると

「被災者の言によれば非常用糧食は最初は感謝したが、約1週
間を経過した後はどうも連食がつらくなった」
39無題Name名無し 24/09/09(月)14:33:55 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560173そうだねx8
    1725860035575.jpg-(87948 B)
87948 B
「すなわち、一般の温食としての家庭食を渇望したという」
…のも正直な反応であったそうです

「自衛隊員の場合は油調理飯のため連食を嫌い、嗜好上は
にぎり飯を最上としている。乾パンも連食性に劣ることは
飯かん詰にはるかに及ばない」

…とのことなんですが、2年後の昭和36年(1961年)に発行さ
れた「自衛隊十年史」によれば、当時の陸上自衛隊が使用
していた「非常用糧食」に採用されていた「かん詰飯」は
「赤飯(団体調理用)」「肉飯(個人携行用)」「焼飯(同上)」
の三種類であったとのこと
40無題Name名無し 24/09/09(月)14:37:30 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560174そうだねx7
    1725860250603.jpg-(89077 B)
89077 B
うち「肉飯」缶は自衛隊発足の昭和29年(1954年)には既に
調達開始、翌30年から部隊に支給されていたという、自衛
隊版缶飯第一号とも言える由緒ある存在であったようなん
ですが、昭和31年ごろから支給が始まった焼飯(チャーハン)
缶と共に、一缶で主食・副食を兼ねることを目論んだため、
味付けと脂肪分の濃ゆい仕様であったそうです

その為結局前述のような匂いが鼻につき易く食べづらい、
消化に悪い…等の不評が相次いだため、結局昭和40年頃調
達は終了
変って調達が始まった白米、しいたけ飯、とり飯などはレ
トルト包装に変った現在も調達が続いているわけですが、
メニューの変遷の裏にはこうした災害時における実戦経験
というか、「戦訓」が反映されている、ということみたい
ですねえ
41無題Name名無し 24/09/09(月)23:02:23 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.560181そうだねx6
地震のニュースでも避難所なんかで菓子パンやカップ麺生活が続くと
どうしても体調を崩すお年寄りとか出てくるっていうしね・・・
なるべく早くいつも食べてた食事に近い形に戻すのが理想なんだろな
42無題Name名無し 24/09/10(火)01:23:16 IP:106.146.*(au-net.ne.jp)No.560183そうだねx3
軍用携帯糧食ってのは基本的に比較的少量で腹持ちを良くするためと、無防備なトイレタイムの時間を減らすために肉炭水化物マシマシ野菜少なめだから連食すると便秘になりやすいし栄養バランス偏るねんな
ちなみにMREの連食限界目安は約2週間までらしい(なおたいてい無視されるもよう)
https://togetter.com/li/2298443
>ただし水はガブガブ飲まないと死ぬ。
>ケツからカチカチのレンガをひり出して仮設トイレで無残な死を迎える。
>死にたくなければ水を飲め。
43無題Name名無し 24/09/10(火)13:16:08 IP:183.74.*(spmode.ne.jp)No.560186そうだねx1
市販品と同じものでも発汗の多い隊員さんを考慮してレーションバージョンでは
ちょい濃い味付けにするとかもなかったっけ?
まあ贅沢を言える状況じゃない時はしょうがないんだろうけど、
次回により良い対応が取れるように検討するのは大事よね
メシに限ったことじゃなく
44無題Name名無し 24/09/10(火)21:16:41 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560187そうだねx7
    1725970601663.jpg-(106931 B)
106931 B
パリオリンピックで日本代表の馬術チームが活躍したおかげで、
報道番組などで過去の金メダリストとして「バロン西」こと西
竹一さんが紹介されていたりしましたが、大正9年に陸士第36期
生として市ヶ谷の陸軍士官学校に進んだ西男爵、在学中大正12年
の関東大震災の場にも居合わせておられたそうです

士官学校の生徒さんらも直ちに出動、とりあえず近場の皇族邸
や各国大公使館の警備に駆り出されたそうなんですが、西氏の
同期生だった岡田芳政さんと言う方の回想に依ると、未曽有の
大災害発生の最中とあって自前の食糧は現地調達すべしとの指
示、とりあえず手分けして米や野菜等はなんとか確保したもの
の、醤油や味噌の類が手に入らず往生したそうなんですが、表
面上は「武士は食わねど高楊枝」の精神で頑張っておられたん
ですとか
45無題Name名無し 24/09/10(火)21:17:45 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560188そうだねx6
    1725970665062.jpg-(181543 B)
181543 B
そんな時、警備にあたる岡田氏らの前に1台のクライスラーが
やってきたそうなんですが、当時は東京と言えど自家用車は
珍しく、外車ともあれば猶更、どんなVIPの到着か…と思わず
威儀を正して出迎えたんだそうで

ところが意外にも、運転席から
「おーい岡田、味噌と醤油を持って来たぞ」
…と声を掛けてきたのは同期生の西さんで、、呆気にとられる
岡田氏らを尻目に、味噌と醤油の樽を下ろすと颯爽と去って行
かれたとのこと

勿論、このクライスラーは西男爵の私物で、震災発生後に東京
市内における連絡・伝令役を買って出たものであったそうです
46無題Name名無し 24/09/10(火)21:19:08 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560189そうだねx6
    1725970748143.jpg-(14112 B)
14112 B
陸士ドイツ語教官として来日し、鵠沼に居住されていたグセル
=サンと言う方の救出にも成功するなど、大いに活躍されてお
られたんですとか

因みに現在の防衛大学は神奈川県横須賀市所在、自衛隊法に定
める部隊等には当たらないため、防大学生さんらに直接災害派
遣命令が下ることはないそうなんですが、横須賀市と締結した
協定により、市から要請があった際には人命救助、避難誘導、
避難所運営等を行うこととされているんだそうで

もっとも、学生さんが私物として自動車を持つことは禁止され
ておりますようですので、災害時に愛車を持ちだして活躍した
士官候補生は西さんが最後、ということになるんですかしら…
47無題Name名無し 24/09/12(木)00:03:05 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.560202そうだねx1
日本でコンビーフ缶が一般に普及したのは、関東大震災の時アメリカからの支援物資が代理店に入ってきたから・・・なんて話もある
みたいね
ともあれ関東大震災のインパクトはその後色んな方面に影響を及ぼしてるんだろうな・・・
48無題Name名無し 24/09/12(木)11:26:24 IP:49.97.*(spmode.ne.jp)No.560212そうだねx2
戦艦榛名なんかは関東大震災の時横須賀にいたけど、重油タンクの炎上に
危うく巻き込まれるとこだったみたいね
後の戦争で一番活躍した金剛級が1隻この時点で欠けてたら、その後の展開
も随分と変わってたかも…
49無題Name名無し 24/09/12(木)11:34:27 IP:106.167.*(dion.ne.jp)No.560213そうだねx3
関東大震災の時点では「国産」の乗用車はほぼ存在しなかったのでは?
50無題Name名無し 24/09/12(木)12:56:19 IP:114.158.*(ocn.ne.jp)No.560214そうだねx2
「榛名」が大震災で再起不能の損傷を受けたら、条約締結国と交渉して今回は自然災害が原因だから代艦建造は已む無しと話を付けて、条約の制限枠一杯の三万五千トン、16インチ砲、集中防御方式の戦艦を新造します
51無題Name名無し 24/09/12(木)18:58:33 IP:210.139.*(nttpc.ne.jp)No.560215そうだねx2
    1726135113234.png-(16487 B)
16487 B
>後の戦争で一番活躍した金剛級が1隻この時点で欠けてたら、その後の展開
>も随分と変わってたかも…
いわゆる「金剛代艦」は条約により金剛が艦齢20年に達する昭和8(1933)年を目途とし
震災直後の大正13(1924)年に軍令部から艦政本部へ諮問、昭和3(1928)年報告では
条約準拠で排水量35,000トンで16インチ砲装備、ただ速力には多くを要求せず(恐らく26ノット程度)
これを前倒しで昭和早々に建造していたとしたら結局一回り小振りな長門級のようなもので
今日の視点ではえらく中途半端な艦になったような気がする
52無題Name名無し 24/09/12(木)19:06:45 IP:210.139.*(nttpc.ne.jp)No.560216そうだねx1
    1726135605734.png-(17281 B)
17281 B
ただ震災当時空母化が予定された天城が損傷して各国の了解のもと加賀を代替として空母化しており
この時に同時に各国の了解を取れれば当時まだ健在だった土佐を金剛代艦とするとか
可能性としては加賀土佐を同型の空母とし赤城を金剛代艦として元設計通り建造するとか
53無題Name名無し 24/09/13(金)10:25:35 IP:138.64.*(v6connect.net)No.560226そうだねx1
>関東大震災の時点では「国産」の乗用車

T型フォードを輸入しまくって円タクが普及してたんじゃないかな
震災で市電が全滅したんでフォード社にT型フォードの
シャーシを大量に緊急輸入してバスの車体を被せて
市電に代わる公共交通機関の復旧にあてたとか

このときに頑張ってフォード社から自動車生産工場を丸ごと買い取ってライセンス国産したら
もう少し日本のモータリゼショーンは早く立ち上がったかもね
54無題Name名無し 24/09/14(土)18:10:02 IP:110.163.*(spmode.ne.jp)No.560249+
>このときに頑張ってフォード社から自動車生産工場を丸ごと買い取ってライセンス国産したら
T型は操作系が後の車と大分別物だからそうするならもう少し後のキャデラックが無難かと
55無題Name名無し 24/09/15(日)14:45:55 IP:49.250.*(zaq.ne.jp)No.560269そうだねx1
>No.560216

この時点でも防御面に不利で欧米各国で廃れつつある古臭いケースメイト式副砲に拘ってんのは
平賀技官の頭が固く柔軟性の無かった証拠の一つ
56無題Name名無し 24/09/15(日)15:58:23 IP:113.145.*(dion.ne.jp)No.560271そうだねx2
そうはいっても、要求を言われるがままに全部盛りしたような藤本案も大概でしょう。
主砲の射線を遮る副砲塔の配置がありえない。
57無題Name名無し 24/09/15(日)20:38:01 IP:49.105.*(spmode.ne.jp)No.560277+
>このときに頑張ってフォード社から自動車生産工場を丸ごと買い取ってライセンス国産したら
>もう少し日本のモータリゼショーンは早く立ち上がったかもね

関東大震災は大正12年なので翌年には米国メーカーが動いてる
>フォード社は1924(大正13)年12月に日本フォード(横浜、資本金400万円)を設立し、翌25年3月から組立生産を開始した。また、ゼネラルモーターズ(GM)社も日本GM(大阪、資本金800万円)を設立し、1927(昭和2)年4月から組立生産を始めた。
58無題Name名無し 24/09/15(日)20:45:16 IP:153.243.*(ocn.ne.jp)No.560279+
>このときに頑張ってフォード社から自動車生産工場を丸ごと買い取ってライセンス国産したら もう少し日本のモータリゼショーンは早く立ち上がったかもね
英国でも戦後なのに日本が、それより前という事は無いでしょ
59無題Name名無し 24/09/16(月)13:21:35 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560298そうだねx3
    1726460495225.jpg-(97521 B)
97521 B
>関東大震災の時点では「国産」の乗用車はほぼ存在しなかったのでは?
これは言われてみればその通りですね、失礼いたしましたw
因みに震災当時東京市下で警視庁に登録されていた自動車数が
5千8百台、うち半数が震災で焼失してしまったとのこと

一方、当時欧米視察中だった梁瀬自動車の梁瀬長太郎社長はフラ
ンスからメリケンに渡る船中で震災のニュースに接するや、米国
に着くと直ちにゼネラル・モータース社に対し、2千台のビュイッ
ク及びシボレーを発注しているんだそうで

震災復興にトラックや重機でなく、敢て乗用車の緊急輸入…とい
うのは当初なかなか理解されなかったそうなんですが、結果的に
は梁瀬社の2千台の乗用車は忽ち売り切れ、震災前の不況時に抱え
ていた在庫の山も全てはけて、ヤナセ社に創設以来最大の利益を
もたらしたそうです
60無題Name名無し 24/09/16(月)13:22:54 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560299そうだねx2
    1726460574041.jpg-(202049 B)
202049 B
>横須賀
当時横ちんには日本海海戦の殊勲艦「三笠」なども碇泊していた
そうなんですが、ワシントン条約の締結により、主力艦の一翼で
あった「三笠」も、既に廃艦として解体されることが決まってい
たそうです

そこに発生した震災の高波で、かつてウラジオストク沖で座礁し
た際の艦底の古傷が開き、「横須賀市震災史」曰く、

「浸水甚だしく、其儘になし置かば転覆沈没は免れず、故に一時
港外の機関学校海岸迄曳船し、一先ず浅瀬の磐石上に沈礁せしめ
たり」

…とのことで、危うく解体前に海の藻屑になるところであったん
ですとか
61無題Name名無し 24/09/16(月)13:23:29 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560300そうだねx4
    1726460609337.jpg-(108137 B)
108137 B
もっとも、結局その後座礁した状態のまま、解体のための第一次
廃棄作業は行われてしまったほか、何せ緊急時の作業とあって座
礁した場所も悪く、昭和10年三笠保存会発行の「聖将東郷と霊艦
三笠」の記述によれば、震災の翌年「三笠」を記念艦として保存
する決定が下された時点でも

「内定には多量の浸水が有って、暴風一過忽ち破壊しかねまじき
状態(略)海底が急傾斜の岩盤であって、此の上浸水加わらば船体
横倒しにもなり兼ねじと思われ」

…るような状況であったそうです
62無題Name名無し 24/09/16(月)13:25:16 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560301そうだねx3
    1726460716288.jpg-(292804 B)
292804 B
一時は保存事業の継続も危ぶまれたものの、時の横須賀海軍港務
部の先任部員だった中村虎猪さんと言う方が中心となって海底浚
渫や浮揚、曳航作業に非常な努力を払ったのが功を奏して、「三
笠」は無事白浜海岸に準備された海底船渠に定置され、保存作業
を受け今日に至っているとのこと

「横須賀市震災史」付「復興史」でも、この中村氏の働きぶりを
賞賛しているんですが、「三笠」が記念艦として保存される予定
であったのは東京芝浦であったのが、震災で艦底を破損したため
回航困難となったため、横須賀が保存場所となったのを
「震災が齎せる偶然の好機に恵まれたるもの」
…なんてしておりましたり
63無題Name名無し 24/09/16(月)13:29:10 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560303そうだねx2
    1726460950109.jpg-(284216 B)
284216 B
大震災にもイイコトというか、「ケガの功名」があったんですよ?
というユーモアなんでしょうけれども、東京芝浦と言えばワタシの
自宅から自転車でも徒歩でも通える場所…

仮に震災がなければ、いつでも気軽に「三笠」を見にいけるように
なっていたのかもしれないと思えば、ちょっと口惜しいような気も
しますですねえ…w
64無題Name名無し 24/09/16(月)21:32:43 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.560311+
関東大震災の時は海軍のほぼ全艦艇が出動したんよね
太平洋戦争始まるまでは空前の動員規模になったのかな?
65無題Name名無し 24/09/17(火)09:46:09 IP:49.97.*(spmode.ne.jp)No.560314そうだねx2
秘匿してた最大速力がバレちゃったのは長門だっけ…?
66無題Name名無し 24/09/17(火)11:37:32 IP:117.102.*(zoot.jp)No.560320そうだねx1
関東大震災には海外からの支援も米国はじめ各国から多く寄せられたそうですが、
ソ連からの支援は断ってるそうなんですよね
まあ考えてみれば、まだシベリア出兵からもそんなに時間が経ってない時期ではあ
るんですけれど、一応ソ連側としては今後関係改善につなげる足掛かりにする気もあっ
ての申し出だったりしたんでしょうか…?
67無題Name名無し 24/09/17(火)18:02:10 IP:210.238.*(bbiq.jp)No.560322そうだねx2
関東大震災時の陸海軍の対応について、ここまで纏めてあるのは有難い
https://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923_kanto_daishinsai_2/pdf/10_chap2-2.pdf
68無題Name名無し 24/09/18(水)15:30:30 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560333そうだねx4
    1726641030111.jpg-(415561 B)
415561 B
WW2中IJNの連合艦隊参謀長などを務めた草鹿龍之介さんは、関東
大震災の時には横チン司令部の副官兼参謀であったそうなんです
が、発生直後、混乱する市中で行き会った市民の人が「これは米
の値が上るよ、早い内に買っておかなくてはならん」と会話して
いるのを聞きつけ、参謀長に「早く米を押さえなくてはならぬと
思います」と進言したところ、「米のこと君担当してやって呉れ」
…と命じられたんだそうで

そこで草鹿氏によれば
「直ちに海兵団にいって捜索隊を編成し、市内の米屋や倉庫等苟
も米の所在を全部捜索(略)持ち主に1俵だけ与え、外は着剣の番兵
を附して自由に売ることを禁止」

…し、当時の横須賀の人口を8万と想定したうえで、市内にあるコ
メだけで何日支えられるかを概算されたんですとか
69無題Name名無し 24/09/18(水)15:31:50 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560334そうだねx4
    1726641110112.jpg-(333478 B)
333478 B
その結果、とりあえず一週間は大丈夫との目途が付き一安心された
そうなんですが、同時に

「長官より(略)災害地以外の港に在泊中の、鎮守府麾下の艦船に
明治、食糧を出来得る限り購入し、横須賀に急航を命ぜられた」

「市長に連絡を取り、市民全体に米を平等に配給する方法を相談
した。市長は退役海軍少将奥宮衛という老市長であったが、部会
という組織を臨時に作り、海軍士官の家族も(長官家族も勿論)市
民も、平等に毎日配給を受けることにした」

「自身の直後、私は私なりに直ぐ食糧、医療、治安と思った(略)
そこで海兵団の信号兵に、士官を1名宛配した幾組かの宣伝班を作り」
70無題Name名無し 24/09/18(水)15:32:36 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560335そうだねx3
    1726641156621.jpg-(283681 B)
283681 B
「焼け跡の諸所に進出せしめ、鎮守府にて取りつつある食糧対策、
デマに対する真相、その他必要事項を市民に知らしめた」

…等、様々な諸策に取り組まれたとのこと

これらは非常に効果を上げ、「食糧を積んだ艦船が観音岬の処に
現れると、焼け跡のあちこちから期せずして歓声が揚った」そう
なんですが、当時横ちんの庁舎は震災で半壊し使用不能状態、

「庁舎前に大天幕が建築部の手に依って張られた。鎮守府職員は、
毎食堅パンを齧り、水を飲み、4昼夜天幕内に家にも帰らず、執
務をした。市民の誰彼も、この様子を見て感激した。部下艦船の
人も感激した」
71無題Name名無し 24/09/18(水)15:33:36 IP:122.131.*(mesh.ad.jp)No.560336そうだねx3
    1726641216944.jpg-(100369 B)
100369 B
「大井君という市会議員が、すしを大量に寄附して呉れた。当時
駆逐艦司令であった及川古志郎、後の大将も、駆逐艦で握り飯を
作って運んで呉れた」
…そうです

ただトんだ後日談というか、4日間ぶっ続けの勤務の後、ようやく
官舎に戻ったところで、ご家族から聞かされたのはせっかく配給
米の長い列に並んでも、「海軍の方は海軍から特別の配給がある
から」と断られたという話であったとのこと

「人の気も知らず」に!と憤然とした草鹿さん、部会長の自宅に
憤然として談判に訪れ、ようやく4日分の配給を受け取ったそう
なんですが、ともあれ司令官以下当時の横鎮将兵さん達の奮闘ぶ
りが、よく伝わってくる話ではあるんじゃないですかしら…
72無題Name名無し 24/09/18(水)20:22:29 IP:125.4.*(zaq.ne.jp)No.560337+
スレッドを立てた人によって削除されました
https://www.youtube.com/watch?v=aSmO0VMMEks
73無題Name名無し 24/09/19(木)12:14:25 IP:49.98.*(spmode.ne.jp)No.560350そうだねx2
陸上交通網が壊滅状態で、まだヘリによる空輸も出来ない時代なら頼りになるのは船舶だけだもんね
海軍の頼もしさは想像以上だったろうね・・・

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